太陽の光が地球に届くまで、およそ8分。

その太陽のすぐ隣にある恒星の光は、届くのに4年以上かかる。

つまり今夜その星を見上げたとしても、目に入るのは4年前に出発した光だ。今まさにその星で起きていることを、わたしたちは誰も知らない。

「今」見ている星は、「今」の星じゃない

光は速い。でも、無限に速いわけではない。

真空中を進む光の速さは、秒速およそ30万km。地球を1秒で7周半する速さだと言えば、ほとんど一瞬に感じる。実際、部屋のスイッチを入れた瞬間に電球が光るのを、わたしたちは遅れとして感じない。

ところが相手が宇宙規模になると、この「有限の速さ」がじわじわ効いてくる。

いちばん近い例が月だ。月までの光の旅はおよそ1.3秒。つまり満月を見上げているとき、あなたが見ているのは1.3秒前の月面ということになる。太陽ならもっと長くて、約8分。正確には8分19秒ほどかけて、光は1億5000万kmを越えてくる。

ここで少し立ち止まってほしい。

太陽を(直接は見ないにしても)空に感じるとき、その光は8分前に太陽を出発したものだ。もし太陽が8分前に消えていたとしても、わたしたちはあと数分、何も気づかずに昼を過ごすことになる。目の前の相手の顔も、鏡の自分も、厳密には少しだけ過去の姿だ。ただ、その遅れがナノ秒だから気づかないだけで。

では、太陽の次に近い恒星までいくと、この遅れはどこまで伸びるのか。

太陽の次に近い星、プロキシマ・ケンタウリ

その星の名前は、プロキシマ・ケンタウリ。

NASAの資料によれば、これは太陽系にいちばん近い恒星で、南天のケンタウルス座の方向にある赤色矮星(せきしょくわいせい=太陽より小さく暗い星)だ。地球からの距離は「4光年強」、より細かい値では約4.25光年とされている。

1光年は、光が1年かけて進む距離のこと。だから4.25光年とは、光でも4.25年かかる距離ということになる。

これをkmに直すと、約40兆km。ゼロの数で言うと40の後ろに12個も並ぶ。太陽までの距離を1とすると、プロキシマまではおよそ27万倍。NASAの換算では約268,770天文単位(1天文単位=地球から太陽までの距離)という数字が出てくる。

正直、これを初めてきちんと知ったとき、妙な気分になった。「いちばん近い」と言われている星ですら、光にとってさえ気の遠くなる距離だったからだ。

では、4光年というのは具体的にどれくらい遠いのか。乗り物で測ってみよう。

4光年を、身近な乗り物で測ってみる

数字の40兆kmは、大きすぎてかえって実感がわかない。身近な速さに翻訳してみる。

新幹線なら1500万年、光でも4年強。プロキシマまでの旅の長さ

時速300kmの新幹線で、休まず走り続けたとする。プロキシマに着くのは、約1500万年後だ。人類が誕生するよりはるか前に出発していないと間に合わない。

もっと速い旅客ジェット機、時速900kmならどうか。それでも約510万年かかる。

そして光。秒速30万kmで突っ走る光でさえ、4.25年。太陽の光がたった8分で地球に届くことを思い出すと、その差はおよそ27万倍だ。同じ「となりの星」のはずなのに、太陽とプロキシマでは光の旅の長さがそれだけ違う。

面白いのはここからだ。

これほど時間をかけて届くプロキシマの光を、では肉眼でちゃんと見られるのか。答えは、意外なものだった。

ところが、その星は肉眼では見えない

白状すると、わたしは長いことこう思い込んでいた。いちばん近い恒星なんだから、さぞ明るく見えるのだろう、と。

実際は逆だ。

プロキシマ・ケンタウリは赤色矮星で、太陽よりずっと暗い。NASAの解説でも、この星はハッブル宇宙望遠鏡の画像として紹介される存在で、肉眼で簡単に見つかる星ではない。すぐ隣にあるのに、望遠鏡の助けがないと光をとらえにくいのだ。

いちばん近いプロキシマは暗くて見えず、肉眼で見えるのは隣のアルファ・ケンタウリ

一方で、そのすぐ近くにあるアルファ・ケンタウリ(距離およそ4.35光年)は事情が違う。NASAによれば、これは肉眼で見える恒星としては地球にいちばん近い主系列星だ。南半球の空では、ひときわ明るい星として見える。

想像してみてほしい。あなたが南の空でケンタウルス座を見上げたとする。いちばん近いはずのプロキシマは、確かにその方向にあるのに、目には映らない。代わりに見えるアルファ・ケンタウリの光も、やはり4年以上前にその星を出発したものだ。

「近い」と「よく見える」は、宇宙ではイコールにならない。

では、夜空にちりばめられた、ほかの無数の星はどうなのだろう。

夜空は「過去のアルバム」でできている

ここが、個人的にはこの話でいちばん好きな部分だ。

夜空の星は、それぞれ地球からの距離がまるで違う。数光年の星もあれば、何百光年、何千光年先の星もある。距離が違うということは、届く光が「何年前の姿か」もバラバラだということだ。

つまり、ひとつの夜空の中に、4年前の光と、数百年前の光と、もっと古い光が同時に混ざって見えている。

たとえばNASAが紹介するらせん星雲は、地球から約650光年の距離にある。今わたしたちが見るその姿は、約650年前に放たれた光だ。日本なら室町時代のころに出発した光を、今ごろ眺めていることになる。その光が宇宙を旅しているあいだに、地上では戦国の世が始まり、江戸が栄え、やがて現代になった。何百年ぶんの歴史が流れても、光のほうはまだ到着したばかりなのだ。しかもらせん星雲は、太陽のような星が一生を終えたあとに残したガスの殻だと考えられている。つまりわたしたちは、遠い昔に静かに死にゆく星が吐き出した輝きを、数百年遅れでようやく受け取っていることになる。見えているのは星雲の「今」ではなく、ずっと昔に切り取られた一枚のスナップというわけだ。

距離が遠い星ほど、見えている光は古い。夜空は年代の違う光の寄せ集め

もっと遠い星になると、話はさらに不思議になる。何千光年も離れた星なら、光が出発したあとに、その星がすでに一生を終えている可能性もある。とくに太陽より何倍も重い星は、まばゆく燃えるぶん寿命が短く、数百万年ほどで燃料を使い果たしてしまうと考えられている。地球へ光が届くまでの時間のほうが、その星に残された一生より長い、ということすら起こりうるわけだ。研究者は、空に見えている光のいくつかは「すでに存在しない星からの便り」かもしれない、と指摘する。見上げている一点の光の主が、もうそこにいないかもしれない――そう思うと、同じ夜空が少しだけ違って見えてくる。

それもそのはずで、星の数そのものが桁外れだ。NASAによれば、天の川銀河だけで1000億個を超える星があり、宇宙全体では最大で1の後ろにゼロが24個という途方もない数になるという。その一つひとつが、別々の過去の光を今この瞬間に送り届けている。

夜空とは、現在のスナップ写真ではない。年代のちがう光を一枚に貼り合わせた、巨大なアルバムなのだ。

毎晩見上げている、いちばん身近なタイムマシン

ここまでをひとことで言うと、距離を見ることは、時間を見ることだ。

遠くを見れば見るほど、より古い過去が見える。だから望遠鏡で遠くの銀河をのぞくことは、そのまま宇宙の昔をのぞくことになる。天文学が「過去を観測する学問」と呼ばれるのは、この一点に尽きる。

そしてこれは、特別な装置がないと味わえない話ではない。

今夜、家のベランダや帰り道でふと星を見上げたとする。目に飛び込んでくるその光は、あなたがまだ別の場所で、別のことをしていた何年も前に、その星を出発したものだ。いちばん近い恒星でさえ、4年以上かけてようやく今あなたの目に届いた。その数年のあいだに、あなたの暮らしも、見上げる場所も、ずいぶん変わったはずだ。それでも光は、出発したときのままの姿で静かにたどり着く。

見上げるだけで過去に触れられる道具を、わたしたちは生まれたときから頭の上に持っている。