よく晴れた夜、街明かりの届かない場所で空を見上げると、星が多すぎて逆に困る。どれがどの星座か、もう分からない。あんなにびっしり詰まっているのだから、宇宙はさぞ星で混み合っているに違いない——そう思うのが自然だ。

ところが実際の宇宙は、ぞっとするほどスカスカだ。星と星のあいだは、光でさえ何年もかかって渡るほど空いている。

今日はその「空っぽさ」そのものの話をしたい。光が遅れて届くとか、昔の姿が見えるとか、そういう時間の話ではない。星と星のあいだに、どれだけ何もないのか。それを身近な大きさに縮めて、体で感じてみる。

夜空は満員、実態はガラガラ

まず、あの「びっしり感」の正体から。

肉眼で見える星は、条件のいい空でもせいぜい数千個だ。それが頭上の丸い天井(天球)にべたっと貼りついて見える。近い星も遠い星も、明るいか暗いかの差はあっても、ぜんぶ同じ「点」として空の一点に並ぶ。

しかも明るさは、近さとは限らない。すぐそばの暗い星より、はるか遠くの巨大な星のほうが明るく輝いて見えることはざらにある。だから空を見ただけでは、どれが近くてどれが遠いのか、まるで区別がつかない。

ここに最初のトリックがある。私たちは奥行きを見ていない。

実際には、ある星は数光年先、別の星は数百光年先、さらに別の星は数千光年先にある。バラバラの距離に散らばった光点を、1枚の平面に投影して眺めているだけだ。立体をぺしゃんこに潰せば、スカスカでも密集して見える。

奥行きの違う星が同じ天球に重なって密集して見える仕組み

満員電車の窓から外を見ると、近くの電柱も遠くのビルも全部まとめて「景色」に見えるのと同じだ。見かけの密集と、実際の隙間はまったく別物なのだ。

では、その隙間はどのくらいなのか。

いちばん近い星まで、光で4年あまり

太陽をのぞけば、地球にいちばん近い恒星はプロキシマ・ケンタウリという星だ。NASAはこれを「私たちのいちばん近い恒星の隣人」と呼び、距離を「4光年あまり」としている。

1光年は、光が1年かけて進む距離のこと。NASAによれば、およそ9兆kmだ。

9兆kmと言われても、正直ピンとこない。1年は約3150万秒、光は1秒で地球を7周半する——そんな説明を足しても、やっぱり実感はわかない。

数字をもう少し積んでみる。いちばん近い星まで約4.3光年。これをkmに直すと、4.3かける9兆で、だいたい39兆km。地球から太陽までが約1億5000万kmだから、その26万倍以上もある。

白状すると、私はこの手の桁の大きい数字を長いこと「とにかく遠い」で済ませて、本当の意味では分かっていなかった。26万倍と言われても頭が受けつけない。

数字を積み上げるほど遠ざかるこの感覚こそ、宇宙の距離の厄介なところだ。だから、発想を変える。

太陽をピンポン玉にすると、隣の星は1100km先

巨大すぎて掴めない数字は、全部まとめて小さく縮めてしまえばいい。

太陽の直径は約140万km。これを、手のひらのピンポン玉(直径4cm)まで縮めてみる。同じ比率で、まわりのものも全部縮める。すると宇宙の空っぽさが、急に体のサイズで分かってくる。

まず地球。実物は直径約1万3000kmだが、この縮尺だと0.4mmの砂粒ほどしかない。そしてその砂粒は、ピンポン玉の太陽から約4.3m離れたところにある。部屋の反対側に落ちた、目をこらさないと見えない砂の一粒。それが地球だ。

太陽をピンポン玉に縮めると地球は4.3m先の砂粒、隣の星は約1100km先

ここで少し立ち止まってほしい。地球でさえ、ピンポン玉から部屋1つぶん離れた砂粒なのだ。

では、いちばん近い星は?同じ比率で縮めると——約1100kmだ。

ピンポン玉の太陽を東京の自分の机に置いたとしよう。いちばん近い星は、鹿児島の南の海の上あたり。日本列島をまるごと縦に貫くほど遠くに、もう1個のピンポン玉がぽつんと浮かんでいる。これが、宇宙でいう「お隣さん」の距離感だ。

2つのピンポン玉の間は、ほぼ何もない

面白いのはここからだ。東京のピンポン玉と、九州の南のピンポン玉。その1100kmの間に、何があると思うだろう。

ほとんど、何もない。

太陽のまわりには惑星がある。縮尺モデルで言えば、ピンポン玉の近くに数粒の砂が散っているだけ。いちばん遠い惑星でも、ピンポン玉から130mほどの範囲に収まってしまう。向こうのピンポン玉のまわりにも、同じように数粒。

残りの約1100kmは、ただただ空っぽの空間が続く。砂粒ひとつ落ちていない道を、東京から九州の南まで歩きつづける——それが星と星のあいだの、ありのままの姿だ。

正確に言えば、完全な無ではない。星と星のあいだにも、ごく薄いガスやちりは漂っている。ただしその薄さは、地上のどんな真空実験室も顔負けのレベルだ。手で触れるような密度の物質は、ほぼ両端の星のそばにしかない。

太陽と隣の星の間の約1100kmはほとんど真空で物があるのは両端だけ

もしあなたが、その2つのピンポン玉のちょうど真ん中に立てたとしたら。振り返っても見上げても、どちらの星も豆粒ほどの光にしか見えない。手を伸ばせる距離には、本当に何もない。宇宙の「普通」は、この途方もない無だ。

天の川銀河には1000億個以上の星があると、NASAは見積もっている。それだけの数がありながら、1個あたりの持ち場がこれほど広い。だから星同士は、めったにぶつからない。

このスカスカが、宇宙では「混んでいる」ほう

もうひとつ、ひっくり返るような話を。

太陽のまわりは、宇宙全体で見ればむしろ星の多い、にぎやかな一角なのだ。1100km先に星があるこの密度でさえ、「混んでいる」側に入る。

銀河の中心近くはもっと星が密集している。一方で、銀河と銀河のあいだに広がる空間は、桁が変わって空っぽになる。先ほどのピンポン玉モデルで隣の星まで1100km。ところが隣の銀河までとなると、地球上の距離では到底足りない。地球を一周しても、まだ全然足りないのだ。

つまり私たちの太陽系は、宇宙の中ではかなり「ご近所づきあいの濃い」場所に浮かんでいる。それでいて、いちばん近い隣人まで列島1本ぶん。これより空いた場所が、宇宙の大半を占めているわけだ。

NASAによれば、宇宙全体には最大で1杼(1のあとに0が24個並ぶ数)もの星があるかもしれないという。数としては気が遠くなるほど多い。それでも、一粒一粒のあいだはどこまでも空いている。

地図アプリを思い出してほしい。指でぐっと縮めると、さっきまで密集して見えた店の点が、すーっと散らばっていく。宇宙の星も同じだ。近づけば密、引けば疎。ただ宇宙の場合、引いたときの「疎」のスケールが、人間の物差しを軽く振り切る。

数の多さと、隙間の広さ。この2つは矛盾しない。むしろ両方そろって初めて、宇宙の本当の姿になる。

夜空の「びっしり」の正体

話を、最初の夜空に戻す。

星がびっしり詰まって見えたあの空は、嘘ではない。数千個の光が確かにそこにある。けれどその一つひとつは、ピンポン玉を日本列島の長さだけ引き離したような、途方もない隔たりの向こうで光っている。

ちなみに「その光が届くのに時間がかかる」という話は別稿にゆずる。いま見えている星が過去の姿だという話は、いちばん近い星でも見えるのは4年前の姿にまとめた。今日の主役はあくまで、星と星のあいだの空っぽさのほうだ。

次に夜空を見上げたら、思い出してほしい。目の前のびっしりは、平面に潰れた見かけにすぎない。本当は、光の点と点のあいだに、砂粒ひとつ落ちていない1100kmぶんの闇が、どこまでも折り重なっている。宇宙は星でできているのではなく、ほとんどが、その隙間でできているのだ。