今この瞬間、太陽が消えて、まったく同じ重さのブラックホールにすり替わったとする。地球はどうなるか。
多くの人が「吸い込まれて終わり」と答える。ところが正解は、拍子抜けするほどそっけない。地球はいつもと同じ軌道を、いつもと同じ速さで回り続ける。真っ暗にはなるが、落ちていきはしない。
NASAがわざわざ「ブラックホールは掃除機みたいなもの……ではない!」という見出しのページを用意しているほど、この誤解は根深い。今日はその誤解を、重力のいちばん素朴なルールで解きほぐしていく。
太陽が化けても、地球は同じ軌道を回り続ける
まず結論から言ってしまう。NASAのページにはこう書いてある。「事象の地平線の外側では、ブラックホールのまわりの重力は、同じ質量を持つほかのどんな天体のまわりの重力とも変わらない」。
事象の地平線(event horizon)というのは、そこから内側に入るともう二度と出てこられない境界線のことだ。あとで詳しく話す。ここで大事なのは「その外側では」という条件のほうだ。
つまり、重さが同じなら、相手がブラックホールだろうと普通の星だろうと、外から感じる引力はまったく同じ。太陽が同じ重さのブラックホールに化けても、地球の位置から見た引力は1グラムも変わらない。
だから軌道は乱れない。公転の速さも変わらない。
白状すると、私もこの仕組みを長いこと誤解していた。ブラックホールには何か特別な吸引力があって、近くのものを手当たり次第に引きずり込むのだと思っていた。そんな力は、ない。
では、なぜ「何でも吸い込む」という話になるのか。その前に、引力とは本当は何で決まるのかを押さえておきたい。
引力を決めているのは、質量と距離だけ
ものとものが引き合う力は、たった二つのことで決まる。相手がどれだけ重いか。そして、どれだけ離れているか。それだけだ。
これはあなたと地球のあいだでも同じことが起きている。あなたが体重計に乗ると数字が出るのは、地球という巨大な質量が、ある距離からあなたを引いているからだ。相手の形や色や中身は関係ない。重さと距離、この二つがすべてを決める。
ここが今日いちばん大事なところだと思う。引力は「相手が何でできているか」を気にしない。中身がぎっしり詰まった鉄球でも、スカスカの綿あめでも、重さと距離が同じなら引く力は同じになる。
太陽の重さを一粒も減らさずに、ぎゅうっと小さく握りつぶしてブラックホールにしたとしよう。重さは変わっていない。地球までの距離も変わっていない。ならば、地球が引かれる力も変わりようがない。
ちょっと考えてみてほしい。もし本当にブラックホールに特別な吸引力があるのなら、同じ重さの普通の星より強く引くはずだ。でも引力の正体が「質量と距離」である以上、そんな上乗せは起きない。
変わるのは引く力ではない。では、何が変わるのか。
変わるのは引力ではなく、「どこまで近づけるか」
太陽をブラックホールにしたとき、劇的に変わるものが一つだけある。大きさだ。
いまの太陽は直径およそ139万km。地球が109個横に並ぶ幅がある。ところがNASAによれば、太陽ほどの重さを半径わずか約3kmの球に押し込むと、ブラックホールになる。直径にしておよそ6kmだ。
数字だけ見るとピンとこないので、縮尺を揃えてみる。いまの太陽を直径1メートルのビーチボールだとすると、同じ重さのブラックホールは直径4マイクロメートルほど——髪の毛の太さの20分の1、赤血球より小さな点にまで縮む。重さはそのままで、だ。
ここで効いてくるのが、さっきの「距離」だ。
普通の太陽の表面は、中心から約70万km離れた位置にある。地球はそこからさらに遠い。だから地球が感じるのは、ずっと遠くからの、ほどほどの引力だ。太陽の表面にそれ以上近づくことはできない。星の本体に阻まれるからだ。
ところがブラックホールになると、本体がほぼ点にまで縮む。すると、これまで星の表面に阻まれて近づけなかった「もっと内側」にまで、理屈のうえでは入り込める。中心に近づけば近づくほど、引力は急激に強くなる。
つまりブラックホールが怖いのは、引力が強いからではない。中心のすぐそばという、普通の星では立ちようのない至近距離に、立ててしまうからだ。
吸い込まれるのは、地平線のすぐ外まで行ったときだけ
では「吸い込まれる」のは、具体的にどこからなのか。その境界が、最初に出てきた事象の地平線だ。
ここでは、そこから脱出するのに必要な速さが光の速さを超えてしまう。光でさえ出てこられない。だから内側は真っ暗で、外から中を見ることはできない。NASAの表現では、いったん地平線を越えたものは必ず中心の特異点に行き着く、という。
逆に言えば——そしてこれが肝心なのだが——地平線の外にいるかぎり、吸い込まれはしない。NASAもはっきりこう書いている。「地平線の外にとどまっているかぎり、吸い込まれることはない」。
太陽をブラックホールにしたときの地平線は、半径約3km。いっぽう地球は1億5000万km先を回っている。これは地平線の半径のおよそ5000万倍の距離だ。
5000万倍。地平線を1円玉の大きさ(直径2cm)に例えるなら、地球は約1000km彼方——東京から鹿児島あたりを回っていることになる。吸い込まれる心配をするには、あまりに遠い。
想像してみてほしい。もしあなたが宇宙服を着て、その地平線の「すぐ外側」に浮かんでいたとする。そこまで来て初めて、引力は体を引き裂くほど強烈になる。足と頭で引かれる力が違いすぎて、体が縦に引き伸ばされていく。研究者はこの現象を、麺にちなんで「スパゲッティ化」と呼ぶ。
でもそれは、半径3kmの地平線に手が届く距離まで近づいた場合の話だ。1億5000万km離れた地球には、まるで無関係な世界の出来事である。
では、なぜ「何でも吸い込む掃除機」になったのか
ここまで読むと、一つ疑問が湧くはずだ。引力が普通の星と同じなら、ブラックホールが物を飲み込んで成長する、というあの話は何なのか。
実際にブラックホールは、まわりのガスや星を飲み込んで大きくなる。ただしそれは「遠くのものを吸い寄せている」のではない。たまたま地平線のすぐ近くまで来てしまった物質が、そこから抜け出せずに落ちていく、という話だ。
落ちていくガスは地平線の手前で猛烈な速さで渦を巻き、こすれ合って高温になり、まばゆく光る。この光る渦を降着円盤という。映画やニュースで見るブラックホールの、あのギラギラした姿の正体はこれだ。派手に光るぶん、「何でも吸い込む化け物」という印象だけが独り歩きしてしまった。
妙な話だが、実際のブラックホールは、吸い込むどころか、近づいてこないかぎり何もしない。遠くから見れば、ただ同じ重さの天体として、静かにそこにあるだけなのだ。
だから宇宙に浮かぶガスや星の大半は、ブラックホールのそばを素通りして、何事もなく軌道を描いていく。掃除機なら、近くのホコリは残らず吸い込むだろう。ブラックホールはそうではない。ぶつかりに行かないかぎり、引力は同じ重さのどんな星とも変わらないのだから。
真っ暗になっても、地球は回っている
太陽が消えて同じ重さのブラックホールに化けた世界を、もう一度思い浮かべてみる。
空から太陽が消え、昼が来なくなり、海は凍り、地上の生き物は生きていけない。それは本当だ。でもその理由は「吸い込まれたから」ではなく、「光と熱が届かなくなったから」だ。地球そのものは、暗闇の中を、今日と寸分変わらない軌道で静かに回り続けている。
ブラックホールが怖いのは、遠くまで手を伸ばす吸引力があるからではない。そのすぐそばという、宇宙でいちばん帰ってこられない場所に、うっかり踏み込めてしまうからだ。距離さえ保てば、相手は同じ重さの、ただ黒いだけの天体でしかない。
今夜、空を見上げて太陽の方角を思い浮かべるとき、頭の片隅にこの数字を置いてみてほしい。かりに太陽が握りつぶされて半径3kmの闇になっても、1億5000万km先のあなたの足元は、変わらずその軌道の上に乗っている。