ブラックホールと聞くと、近づくものを片っ端から吸い込む掃除機のような姿を思い浮かべる人が多いと思う。ところが本当の悩みは逆で、餌が向こうから落ちてきてくれないと、ブラックホールはあっさり飢える。
では、その餌はどこから、どうやって届くのか。
JWST(ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡)が、ある銀河の中心をこれまでにない細かさで覗き込んだ。そして、その「配膳ルート」を初めて詳しく捉えた。しかも配膳しているのは、ブラックホール自身が吐き出したガスだった。
「吸い込む」より「飢える」ほうが、実は難しい
ブラックホールの重力は確かに強烈だ。けれど、その重力が本当に効くのは、思ったよりずっと狭い範囲でしかない。少し離れたガスにとっては、無数にある重い天体の一つにすぎない。
問題は、ガスがまっすぐ落ちてこない点にある。ガスはたいてい横向きの勢いを持って回っている。この「回る勢い」を角運動量(かくうんどうりょう、回転の勢いの量)と呼ぶ。
洗面台の水を思い出してほしい。栓を抜いても、水は排水口へ一直線には落ちず、ぐるぐる回りながらなかなか吸い込まれない。あれと同じことが、銀河の中心でも起きている。
回る勢いを持ったガスは、ブラックホールの周りを延々と公転し続ける。落ちるには、この横向きの勢いをどこかで捨てなければならない。
つまり本当の謎は「どうやって吸い込むか」ではなく、「どうやって勢いを捨てさせ、口元まで運ぶか」だ。ここがずっと、はっきり見えていなかった。
JWSTがNGC 4696の中心を、33光年刻みで覗いた
その配膳現場を捉えたのが、モントリオール大学のJulie Hlavacek-Larrondo氏らの研究チームだ。狙ったのはNGC 4696、ケンタウルス座銀河団という銀河の集団の中心に鎮座する、団内で最も明るい巨大銀河である。
使ったのはJWSTの分光装置NIRSpec(ニアスペック、近赤外線を波長ごとに分けて測る装置)だ。チームはこの装置で、銀河の中心618パーセク(約2000光年)四方ほどの領域を観測した。
分解能はおよそ33光年。約2000光年四方を、この33光年刻み――ざっと60ほどのマス目に分けて塗り分けたことになる。太陽から一番近い恒星まででも約4光年だから、そのおよそ8倍という細かさだ。銀河の規模で言えば、針の穴からのぞくような精度である。
そこに写っていたのは、細い糸のようなガスの流れが中心へ吸い寄せられ、その先で回転する円盤に合流していく姿だった。研究チームはこの円盤を周核円盤(しゅうかくえんばん、ブラックホールを取り巻く回転ガス円盤。英語の頭文字でCND)と呼んでいる。
研究チームの報告では、この円盤は差し渡し数百光年規模。中のガスは秒速数百kmという猛烈な速さで回っているという。
秒速数百kmと言われてもピンとこないが、地球が太陽を回る速度が秒速約30km。その十数倍にあたる。東京と大阪の間を、まばたきする間もなく飛び越えてしまう速さで、ガスの円盤が回っている。
糸をたどると、1億度のプラズマにつながっていた
面白いのはここからだ。中心へ落ちる糸を外へたどっていくと、その根元は銀河全体を包む高温ガスにつながっていた。
銀河団の中心銀河は、1億度にもなる薄いプラズマ(原子がばらばらに電離した高温ガス)の雲にすっぽり包まれている。温度が高すぎてX線でしか見えない、目に見えないスープのようなものだ。
このスープの一部が冷えると、周りより重くなって沈み込み、細い糸状の流れになる。研究チームは、その糸のネットワークが数万光年規模の広がりを持つことを捉えた。銀河1個分ほどの長さの糸が、中心へ向かって垂れているわけだ。
驚くのは、1本の糸の中で温度が6桁、つまり100万倍もの幅にまたがっていたことだ。
外側は1億度のプラズマ、内側へ行くほど冷え、最後は星の材料になるような冷たい分子ガスにまで下がる。太陽の中心温度(約1500万度)ですら、この幅のなかにすっぽり収まってしまう。
こうした温度も相もばらばらのガスが一続きになった構造を、多相ガスと呼ぶ。高温プラズマが冷えて糸になり、糸が勢いを捨てて円盤に落ち、円盤がブラックホールを養う。配膳ルートが一枚の絵としてつながった瞬間だ。
餌を作っているのは、ブラックホール自身のジェット
ではその糸は、そもそもなぜできるのか。ここに、この研究の一番の妙がある。
多くのブラックホールは、餌を食べるときに一部のエネルギーを細く絞ったジェット(噴流)として上下に噴き出す。このジェットが周囲のプラズマを激しくかき混ぜ、温める。
温めてしまったら餌が冷えなくなるじゃないか、と思うだろう。私も最初はそこで引っかかった。ところが実際は逆で、この加熱こそがガスを冷ましすぎない調整弁になっている。
仕組みはエアコンのサーモスタットに近い。放っておけばプラズマは一気に冷え、大量のガスが中心へ雪崩れ込んで、星が爆発的に生まれてしまう。それを防ぐようにジェットが加熱で押し返す。
かといって温めすぎれば、今度は餌が届かずブラックホールが飢える。すると噴くべきジェットも弱まり、加熱が止まる。ガスはまた冷え始め、糸となって落ちてくる。
強すぎれば自分でブレーキをかけ、弱すぎれば自分でアクセルを踏む。研究チームは、この加熱と冷却が釣り合う自己調整のループが働いていると考えている。ブラックホールは、自分の吐いた息で餌を作り、その餌で自分を養っているのだ。
予想図が、初めて実物と重なった
こうした自己調整の輪は、じつはコンピューターの数値シミュレーションでは前から描かれていた。理屈の上では、こうなっているはずだと。
ただ、それを一つの銀河の中心で、高温プラズマから冷たい分子ガス、そして回転円盤まで、ひとつながりに実測できたのは今回が初めてだという。研究チームはそう位置づけている。予想図に、ようやく実物の写真が重なった格好である。
これはブラックホール単体の話にとどまらない。銀河の中心にある超大質量ブラックホールの重さと、その銀河全体の性質は、なぜか足並みをそろえて育つ。これは以前から知られた不思議で、両者をつなぐ配線がどこかにあるはずだ、とずっと言われてきた。
その配線の一部が、この「加熱と冷却の輪」だったのではないか。ブラックホールが暴れれば銀河のガスは温められ、星の生まれる勢いにも影響が及ぶ。逆に静まれば、ガスは冷えて中心に戻ってくる。両者は一本のループで手をつないでいる。
観測されたのはあくまでNGC 4696という一つの銀河の姿だ。これがどこまで普遍的な仕組みなのかは、これから他の銀河でも同じ配膳ルートが見つかるかどうかにかかっている。
夜空の一点で、今も糸は垂れている
ブラックホールは何でも呑み込む怪物、というイメージは半分しか当たっていない。近くまで来た餌を落とすだけの重力はあっても、その餌を口元まで運ぶ仕掛けは自前で用意しなければならない。
その仕掛けが、自分の吐いたガスを一度温め、冷まし、糸にして手繰り寄せるという回りくどい自給自足だった。呑み込む前に、まず自分で配膳している。
ケンタウルス座の方向、はるか彼方にあるNGC 4696。その中心では、今この瞬間も1億度のプラズマが冷え、細い糸になって回転円盤へ静かに落ち続けている。次に夜空でその一角を見上げるとき、点にしか見えないその奥で、飢えないための糸がゆっくり垂れている光景を思い出してもらえたら嬉しい。