夜空でひときわ明るく光る星がある。だが銀河全体の重さを支えているのは、たいていその星ではない。

重さの大半は、望遠鏡に一つずつは写らない、地味で小さな星たちが担っている。しかもその「数」を、天文学者は直接数えているわけではない。

要するに私たちは、銀河をまだ半分くらいしか正しく量れていないのかもしれない。

銀河の光として見えるのはごく一部で、重さの大半は暗く小さな星が担う

銀河の重さは、体重計ではなく光で量る

そもそも、何百億光年も先の銀河をどうやって「量る」のか。当然だが、天秤に乗せるわけにはいかない。

天文学者が使うのは、銀河から届く光の量だ。明るく見える銀河ほど星がたくさん詰まっていて、重い。ざっくり言えば、そういう理屈で重さを推定する。

これは家計を電気代から推測するのに似ている。使った電力量から「たぶんこのくらいの暮らしぶりだ」と当たりをつける。銀河の場合、届いた光の量から星の総質量を逆算するわけだ。

もっとも、光そのものが弱すぎて、遠い銀河は点にしか写らないことも多い。個々の星を見分けるどころではなく、銀河まるごとが一粒のにじんだ光になる。その一粒から中身を読み解くのだから、途中にいくつも「たぶん」が挟まる。

ただ、ここに一つ落とし穴がある。光の明るさと星の数は、まったく比例しないのだ。

光っているのは、ほんの一握りの「目立つ星」だけ

星は生まれるとき、いろいろな大きさで生まれる。太陽の何十倍も重い星もあれば、10分の1しかない星もある。

やっかいなのは、重い星ほど桁違いに明るいことだ。星の明るさは質量が増えると急激に跳ね上がる。おおまかに言うと、質量が2倍の星は明るさにしておよそ10倍になる。

つまり大きな星は、数が少なくても銀河の光をほとんど独り占めしてしまう。

質量が2倍でも明るさは約10倍。重い星ほど不釣り合いに明るい

一方、圧倒的多数を占めるのは小さくて暗い星だ。天の川銀河でも、星の7割以上は太陽より小さく冷たい「赤色矮星(せきしょくわいせい)」だとされる。中には太陽の1000分の1以下しか光らないものもざらにある。

部屋の明かりを思い浮かべてほしい。強い電球が1つあれば、部屋の明るさはほぼそれで決まる。でも「数」を数えれば、隅で控えめに光る豆電球のほうがずっと多い。

銀河もこれと同じだ。光を支配するのは少数の大きな星で、数と重さを支えるのは大多数の小さな星。この二つは別物なのに、私たちは前者しか直接は見られない。

しかも赤色矮星は、とびきり長生きだ。太陽が数十億年で燃え尽きるのに対し、暗い星ほど燃料をちびちび使い、はるかに長く輝き続ける。だから宇宙が始まって以来、その多くはまだ一つも寿命を終えていないと考えられている。派手さはないが、銀河の屋台骨として静かに居座り続けているわけだ。

見えない星の数は、実は「仮定」で埋めている

ここで少し立ち止まってほしい。遠い銀河では、暗い赤色矮星を一つずつ見分けることはできない。届くのは、無数の星が混ざり合った一色の光だけだ。

では、見えない小さな星がどれだけ隠れているかを、どうやって知るのか。

答えは身も蓋もない。「たぶんこのくらいの割合だろう」と仮定するのだ。この、生まれてくる星の大きさごとの数の割合を、天文学では「恒星質量関数」と呼ぶ。

同じ明るさの光でも、隠れた小さな星をどれだけ仮定するかで推定質量は大きく変わる

この割合は、近くの星々を数えて得た値をよそでも使い回している。天の川銀河の近所で成り立った比率を、遠い銀河にもそのまま当てはめる、というわけだ。

なぜ使い回すのかといえば、他にやりようがないからだ。遠くの銀河で星を一つずつ数えるのは、いまの望遠鏡でも到底できない。手元で数えられる近所の星から比率を借りてくるしかない。妥当な近似ではあるが、あくまで借り物だという点は忘れられがちだ。

白状すると、私はこの手続きを長いこと軽く見ていた。だが考えてみれば、これは家計調査で「よその家もうちと同じ食費だろう」と決めつけて計算するようなものだ。近所なら当たるかもしれない。遠い異国では、外れても不思議はない。

銀河の重さという数字が、この一つの仮定の上に乗っている。ここが盲点だった。

JWSTが初期宇宙で見つけた「重すぎる」銀河

面白いのはここからだ。舞台は、はるか昔の宇宙に移る。

遠くの銀河ほど、その光は長い時間をかけて地球に届く。だから遠くを見ることは、そのまま過去を見ることになる。赤外線に強いジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)は、この「昔の宇宙」の銀河を次々ととらえてきた。

そこで観測チームを困らせる銀河が見つかっている。宇宙がまだ若かった時代なのに、星がぎっしり詰まった、妙に明るく重そうな銀河だ。理論の予想より、できあがるのが早すぎるように見えるという。

なぜこれが問題なのか。標準的な描像では、銀河はガスを少しずつかき集め、時間をかけて星を増やしていく。ところが初期に重い銀河がいくつもあると、育つための時間が足りない。まるで開店したばかりの店に、もう常連客が満員になっているようなちぐはぐさがある。

なぜこんなに早く、こんなに重い銀河ができたのか。この謎に、いくつもの説明が出されている。中には、私たちが銀河の距離や年齢を読み違えているだけだ、とする慎重な意見もある。その中で、次の一つの説明がとくに厄介で、そして面白い。

その一つが、まさに先ほどの盲点だ。もし初期の銀河に、近所の宇宙で仮定したよりずっと多くの暗い小さな星が隠れていたら、どうなるか。光の出方も、逆算される重さも、私たちの見立てとはずれてくる。研究チームの一部は、初期宇宙では星の生まれ方そのものが今と違っていた可能性を指摘している。

見積もりが3〜4倍ほど変わりうる、という報告もある。もっとも、これはまだ確定した結論ではなく、有力な候補の一つとして検討されている段階だ。

重さが数倍変われば、宇宙の歴史も書き換わる

たかが掛け算の係数、と思うかもしれない。でも銀河の重さは、宇宙の年表そのものにつながっている。

銀河がいつ、どれくらいの速さで育ったか。その手がかりは、各時代の銀河にどれだけの星の質量が詰まっているかで測る。もし重さの見積もりが数倍ずれていれば、「宇宙はいつ星でにぎわい始めたか」という物語まで組み替える必要が出てくる。

初期銀河が見積もりより数倍重い可能性は、宇宙の星形成史の見立てを変える

観測チームがすぐに数字を書き換えないのには理由がある。見えない星を「多めに仮定する」のは、都合の悪いデータをならすための後付けにもなりかねない。だから研究者たちは、他の観測とも突き合わせながら慎重に検証を進めている。

どちらに転んでも面白い、というのが個人的な感想だ。銀河が本当に見た目どおり重いなら、宇宙が星を組み上げる速さは私たちの想像より速かったことになる。逆に「暗い星の見落とし」が原因なら、遠くの銀河ほど重さを軽く見積もっていた、という測り方の癖が見つかることになる。前者なら理論に、後者なら物差しに、宿題が残る。

星の生まれ方が昔と今で本当に違ったのか。それとも、別の説明が正しいのか。答えはまだ出ていない。

見えている光は、氷山の一角にすぎない

想像してみてほしい。もしあなたが初期宇宙のある銀河の中に立って、周りの星を一つずつ数えられたとしたら。目に飛び込むのは少数のまばゆい大きな星だろう。だが足元には、その何倍もの数の、赤くくすんだ小さな星が静かに散らばっているはずだ。

私たちがこれまで量ってきた銀河の重さは、その明るい星たちが放つ光から逆算したものだった。見えていなかったのは、数のうえで多数派の、地味な星のほうだ。

次に星空の写真を見るときは、こう思い返してほしい。写っている光は、そこにある星のごく一部でしかない。銀河の本当の重みは、写真には写らない暗がりのほうに眠っている。