海王星のすぐそばを通った探査機は、今も1機しかない。1989年に飛び去ったボイジャー2号だ。そのとき撮られた淡い環が、以来30年以上、ほとんど見えないままだった。
ところが、その環がまたくっきり写った。しかも、間近まで飛んで行った探査機ではなく、地球のそばで待っているだけのJWST(ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡)が撮り直したのだ。
近づいて撮った1枚より、遠くから撮り直した1枚のほうがよく見える。ふつうに考えれば逆のはずだ。この妙な逆転が、いったいなぜ起きたのか。
1989年以来、環はずっと見えなかった
海王星が見つかったのは1846年。太陽から地球の30倍も遠い、約45億km先にある氷の惑星だ。あまりに遠いので、地上の望遠鏡では小さな青い点にしか見えない。
その海王星に、人類の探査機が近づいたのは後にも先にも1度きり。1989年、ボイジャー2号が太陽系の外へ抜ける途中に通り過ぎた。木星や土星をめぐってきた長旅の、いちばん最後に立ち寄った相手が海王星だった。このとき初めて、海王星をぐるりと囲む淡い環の姿がとらえられた。
海王星は、ガスというより氷の成分が多い「氷巨星(アイスジャイアント)」に分類される。表面らしい表面はなく、青くかすんだ大気の底がどうなっているのかも、まだよくわかっていない。
問題はそのあとだ。ボイジャー2号は止まらずに飛び去り、二度と戻ってこない。いま現在も太陽系の外へ向かって遠ざかり続けている。海王星の環はふたたび遠くの闇に沈み、まともに見えない状態が長く続いた。
なぜ、こんなに見えにくいのか。土星の環はあんなに堂々と写るのに。
淡すぎる環は、明るさに負けて消える
土星の環は氷のかたまりが主役で、太陽の光をよく跳ね返す。だから遠くからでもよく光る。
一方、海王星の環はもっと細かい塵(ちり)が多いとされ、光の跳ね返しがずっと弱い。つまり、そもそも暗い。その暗い環が、本体の海王星のすぐ脇にへばりついている。
しかも相手は約45億kmの彼方だ。地上の大型望遠鏡をもってしても、海王星そのものが小さくにじんだ点にしかならない。その点のわきにある、輪郭もおぼろな暗い環を切り分けるのは、長らく無理な相談だった。
ここで想像してほしい。暗い部屋で明るい電球を撮ると、電球のまわりが白く飛んで、そばにある豆粒みたいなものは写らない。海王星でも同じことが起きる。
本体が明るく輝いていると、そのまぶしさに淡い環がのみ込まれてしまう。海王星の環は、この「白飛び」でずっと隠れていたわけだ。
では、JWSTはどうやってこの白飛びを乗り越えたのか。答えは、光の色を変えたことにある。
赤外線だと、海王星のほうが暗くなる
JWSTが使ったのはNIRCam(近赤外線カメラ)。人の目に見える光ではなく、赤外線という一段波長の長い光で海王星を撮った。
ここがこの話の肝だ。海王星の大気にはメタンという気体が含まれていて、このメタンが赤外線をよく吸い込む。すると赤外線で見た海王星は、可視光のときの青くまぶしい姿ではなく、白っぽく沈んだ暗い姿になる。
本体が暗くなれば、白飛びは起きない。まぶしさに負けていた淡い環が、ようやく相対的に浮かび上がってくる。今回JWSTがとらえたのは、環全体としてはこの30年あまりで最も鮮明な姿であり、ボイジャー2号の接近以降ずっと確認されていなかった淡い塵の帯まで、赤外線で初めて写し出されたという。
白状すると、私は最初この理屈が腑に落ちなかった。遠ざけたわけでも拡大したわけでもなく、ただ光の色を変えただけで見えるようになる、という発想が意外だったからだ。
身近な例でいえば、スマホのカメラで逆光の人物を撮るとき、モードを切り替えると背景の白飛びが収まって、隠れていた顔が見えることがある。あれと似たことを、JWSTは光の色を変えることでやってのけた。
近づくより、暗くする。海王星の環を見る鍵は、そこにあった。
環だけじゃない、7つの衛星も一緒に写った
本体が暗く沈むと、得をするのは環だけではない。同じ理由で、まわりを回る衛星たちも見やすくなる。
このときJWSTは、海王星に知られている14個の衛星のうち7個を同時にとらえた。ガラテア、ナイアド、タラッサ、デスピナ、プロテウス、ラリッサ、そしてトリトンだ。どれも小さく暗い衛星で、これまでは本体のまぶしさにまぎれて見分けづらかった顔ぶれである。
なかでも目を引くのがトリトンである。写真の中では、なんと海王星本体よりも明るく光っている。理由は反射率で、トリトンは表面が凍った窒素で覆われていて、届いた太陽光の約70%を跳ね返すという。赤外線で暗くなる海王星のそばで、トリトンだけがまぶしく輝く形になった。
トリトンにはもうひとつ変わった点がある。ほとんどの衛星が惑星の自転と同じ向きに回るのに、トリトンだけは逆向き(逆行)に回っている。この妙なふるまいから、研究者たちはトリトンをもともと太陽系の外縁で生まれ、あとから海王星に捕まった天体ではないかと考えている。
逆行しているということは、トリトンは海王星の重力に少しずつブレーキをかけられている、とも言える。はるか未来には海王星に近づきすぎて壊れ、それこそ新しい環の材料になるのではないか、と考える研究者もいる。捕まった旅人が、いつか輪になる。そんな筋書きだ。
もしあなたがトリトンの氷の上に立ったら、太陽は地球で見るより遠く、小さな光の粒にしか見えないだろう。昼でも薄暗いその空に、青白い海王星が大きく浮かんでいるはずだ。足元の凍った窒素がきしむ音以外、何も聞こえない静けさの中で。
間近で1回より、遠くから何度でも
ここで最初の逆転に戻ろう。近づいて撮ったボイジャー2号より、遠くのJWSTのほうがよく見えたのは、赤外線という光の選び方のおかげだった。
けれど、それだけではない。探査機のフライバイ(接近通過)は、一瞬すれ違うだけの一発勝負だ。海王星のそばを通ったのは、この40年近く、ボイジャー2号ただ1機のまま止まっている。
対して、地球のそばで待つ望遠鏡は違う。何度でも海王星のほうへ向き直せる。環や大気が時間とともにどう移り変わるか、くり返し確かめられる。一瞬の記念写真ではなく、通い続ける定点観測ができるわけだ。
海王星の環は、場所によって濃さにムラがあることが以前から知られている。塵が集まったり散ったりしているらしい。こういう「変わっていくもの」は、一発勝負のすれ違いでは追えない。同じ相手を、季節を変え、年を変えて見つめ直せる目があって、はじめて動きが見えてくる。
遠くにあること自体は変わらない。海王星の光は、いまも届くのに4時間以上かかる。地球に届く太陽の光が約8分だから、ざっと30倍以上の遠さだ。それでも「待てる」道具は、「一度きり通り過ぎる」道具にはできない見方をくれる。
遠くて淡いものほど、待って見る
海王星は164年かけて太陽を1周する。人ひとりの一生では、その1年を丸ごと見届けることすらできない相手だ。近づく手段はほぼなく、光はいつも数時間遅れて届く。
そんな遠くて淡い相手を、私たちは「もっと近づく」ではなく「別の色で、くり返し見る」という手で捉え直した。1989年に一度だけすれ違ったきりだった環が、待つだけの望遠鏡の前に、また姿を現したのだ。
次にこの環がどう変わっていくのか、それを見届けるのはもう探査機ではない。ずっと遠くから、こちらを向いて待ち続ける一台の望遠鏡だ。夜空のどこか、肉眼ではまず見つけられない暗い一点。その先の淡い輪が、いまも塵をこぼしたり集めたりしながら、静かに回っている。