ツグは、あかりを消した部屋のまどから、はだか星をながめるのがすきだった。
はだか星というのは、西の空にぽつんとある、地味な星だ。名前のとおり、なんにもない。まわりに環もなければ、月もない。……と、町の人はみんな言う。なにしろ、そう決めたのが、あのハヤおじさんなのだから。こんな地味な星を毎晩ながめる物好きは、町じゅうでツグくらいのものだろう。
ハヤおじさんは、町いちばんの「通り過ぎ屋」だった。通り過ぎ屋というのは、遠い星のすぐ横までびゅうんと飛んでいく仕事だ。いちばん近くから一枚だけ写して、また帰ってくる。近ければ近いほどえらい。速ければ速いほどえらい。もっとも、通り過ぎ屋が横を通れるのは、一度きりだ。もういっぺん戻るには、燃料も年月も、とても足りないのだそうだ。
だから、若いころのハヤおじさんが、はだか星のま横をかすめて撮った一枚は、町の宝だった。だれよりも近くで、いちばん明るく写した一枚。茶の間の壁に、金のふちの額でかけてある。そこには、つるりとした裸の星が、まぶしく光っていた。まわりには、たしかに、なんにもない。
その晩、何年ぶりかに帰ってきたハヤおじさんは、上きげんだった。ひざにツグをのせて、自分の撮った星の自慢をする。近くで見たときの話。速さの話。景色が線になって飛んでいく話。ツグは、うんうん、と聞いていた。でも、さっきから、言いたいことがひとつあった。
「おじさん。あのね。あの星、はだかじゃないよ」
茶の間が、しんとした。
「わっかがあるよ。ほそーい、うすーいのが、ぐるっと」
ハヤおじさんは、ぷっと吹きだした。母さんも、こまった顔で笑っている。 「ツグ。おじさんはね、いちばん近くまで行って見てきたんだよ。すぐそばで、なんにもなかったの。こんな暗い窓から、なにが見えるっていうの」 「近くだと、見えないんだよ」 「はあ?」
ツグは、うまく言えなかった。でも、ほんとうに、そうなのだ。はだか星の環は、とてもうすい。そばに明るいものがひとつでもあると、そのまぶしさに、すうっと溶けて消えてしまうらしい。だから、部屋のあかりをぜんぶ消して、暗いところから、なんども、なんども、じいっと見る。そうしてやっと、ほそい輪が、うかびあがってくるのだった。
「見せてあげる。あかり、消して」
ツグは、茶の間のランプのつまみを、きゅっとひねった。ぱっと、暗くなる。
「おいおい、これじゃなにも見え……」と言いかけたハヤおじさんが、まどのほうを向いたまま、だまった。
西の空の、地味な星。その、つるりとしているはずのまわりに、ほそい、ほそい環が、ぼうっと巻いていた。ひとすじの、けむりみたいな輪。ずっとそこにあって、だれも見なかったやつだ。
「……なんだ、これは」
ハヤおじさんの声が、なんだかふるえていた。生まれてはじめて見たのだろう。いちばん近くまで行った男が、いちばん遠い、暗い窓から、それをやっと見たのだ。
しばらく、だれもしゃべらなかった。
やがて、ハヤおじさんが、ぱっと立ちあがった。目が、きらきらしている。 「すごい。すごいぞ、これは。よし——だれか、大きいランプを持ってこい! ちゃんと明るくして、もういっぺんよく見るんだ。写しも撮らなきゃ。こんな大発見、暗いままにしとけるか」
近所の人が、いそいそと、いちばん大きな角ランプに火を入れた。ぼうっと、茶の間が明るくなる。みんなが、まどへおしよせた。
環は、もう、どこにもなかった。
明るくなったまどのむこうで、はだか星は、また、つるりと裸にもどっていた。ハヤおじさんは、うんうんとうなずいて、壁の金ぶちの一枚を指さした。 「な。やっぱり、おれの撮ったとおりだ。なんにも、ありゃしない」 近所の人たちも、明るいまどと、明るい写真を見くらべて、うんうんとうなずいた。写真のほうが、よっぽどよく見える、と。
ツグは、なにも言わなかった。
みんなが自慢の一枚をのぞきこんでいるあいだに、ツグは、そっと角ランプのそばへ行って、火を、きゅっと絞った。茶の間が、また暗くなる。だれも、気づかない。
暗くなったまどの外で、けむりみたいなほそい環が、屋根のむこうに、そうっと戻ってきた。ツグひとりが、ひたいをガラスにつけて、それをながめていた。