タカは、日が暮れるまでに、家を空へ浮かせてしまいたかった。
タカの家は、小さな岩にくくりつけられている。岩は暗い外をゆっくり流れ、明るい世界から少しずつ遠ざかっていくのだ。ちなみにこのあたりの家は、どれも船みたいに底が反っていた。
けれど、一生に一度だけ、岩が明るい側にいちばん近づく晩がある。「寄り」と呼ぶ。その晩に綱を切れば、家ごと明るいほうへ渡れるらしい。ただし、軽くなければ渡れない。重い家は窓を逃して、また一生ぶん、暗い外へ流されてしまう。
今夜が、その寄りだった。
「母さん。悪いけど、この戸棚、外に出すよ」 「ああ、いいよ。好きにおし」
キヌ婆さんは、縁でお茶をすすっている。息子のすることに、口は出さない。もっとも、出さないだけで、見てはいるのだろう。
タカは、役所の帳面をひろげて計算した。帳面に載るのは、家の「重し」だけだ。重しというのは、こぶしより大きい石のこと。小さいものは、いくつあっても数に入らない。うちの重しは三つ。それと大きな戸棚とたんすを出せば、数のうえでは、ちょうど浮く。まちがいない、はずだった。
日が暮れて、寄りが来た。空のはしに、明るい世界がぼんやり大きく見える。タカは、綱を切った。
家は、ちっとも浮かなかった。
「おかしいな」 タカは、あわてて棚という棚を外へ放り出した。椅子も、机も、鍋まで捨てた。それでも家は、岩に貼りついたまま動かない。
渡し番のゴンさんが、よそからのぞいて、頭をかいた。 「タカくん、まだ重いよ。あとひと抱えぶん、でかいの残ってないかい」 「でかいものなんて、もう、ひとつもないんだ」
でかいものは、もうなかった。
キヌ婆さんが、ゆっくり立って、船底の梁を指さした。 「タカ。あれは、量ってないだろう」
梁には、小さなものが、びっしりくくりつけてあった。婆さんの糸巻き。祖母さんのボタン。名前も忘れた石ころ。ひとつずつは、指でつまめるほど軽い。帳面の「重し」には、けっして入らないものだ。
けれど、それが、家じゅうの梁に、何十年ぶんも積もっていた。
タカは、ひとつ外そうとして、手を止めた。梁のいちばん奥に、見おぼえのある小びんがある。星砂のつまった、古い小びんだ。子どものころ、タカが自分でくくりつけたものだった。「おれも、重しになりたい」と言って。小さすぎて、だれも数えてくれなかったやつだ。
婆さんは、この家の重さを、とっくに知っていたのではないか。
「それもね」婆さんが、なんだかうれしそうに言った。「ずっと、うちを重くしてたんだよ」
空のはしで、明るい世界が、するりと横へすべっていく。寄りが、行ってしまう。ゴンさんが「ああ、行っちゃった。……また来世だな」と、綱をのんびり巻きとった。
タカは、外しかけた小びんを、もとの梁へ、そっとくくりつけ直した。家が、古い岩へ、最後にひと沈みする。だれも数えなかったものの重みで、うちは今夜も、暗い外に、どっしりと居すわった。