越してきたその晩、カツラギはベランダで固まった。
向かいに、ばかみたいに明るい窓がひとつあった。
ほかの窓はどれもぼんやり灯っているのに、そいつだけが白く、じりじりと、こっちをにらむように光っている。カーテンもしていない。電気という電気を、これ見よがしに全部つけているとしか思えなかった。
「……感じわるいな」
カツラギはつぶやいた。引っ越し早々、ご近所に負けた気がした。彼はそういうことを、やたらと気にする男だったのだ。
翌朝、さっそく金物屋で特大のランプを買ってきた。ベランダの手すりにくくりつけてスイッチを入れると、部屋じゅうが真昼になった。
「どうだ」
向かいの窓は、びくともせず光りつづけている。くやしくて、カツラギはつい、もう一つ買った。
一週間もすると、棟じゅうがまぶしくなっていた。
下の階のサイトウさんは、カツラギの特大ランプを見て「向かいに張り合ってるな」と思い、負けじと投光器を据えた。それを見た隣のオオタさんは、サイトウさんが相手だと勘違いして、もっと明るいのを据えた。
「オオタさん、やりますねえ」
「いやいや、お宅こそ」
だれもが、だれかに張り合っていた。そしてみんな、おおもとは「向かいのあの見栄っぱりな窓」のせいだと信じていた。夜になると棟全体が灯台みたいに光り、虫が集まって、遠くの連絡船が航路をまちがえた。
とうとう管理人のモリさんが、一軒ずつ戸をたたいて回った。
「あのう、みなさん。向かいの、あの明るいの、ですけどね」
「ええ。とんだ見栄っぱりですよ」とカツラギ。
「あれ、星なんです」
「は?」
「ずうっと遠くの、星。八百年くらい前の光が、いまごろここに届いてましてね」モリさんは手帳をめくった。「向かいに越してきた人なんて、いませんよ。そもそも向かいに、棟がないんです」
カツラギはベランダに出た。あらためて見ると、その光はたしかに窓のようでもあり、どこまでも遠い、ただの一点のようでもあった。だれも住んでいない。だれもスイッチを入れていない。八百年も前から、そこで勝手に光っていただけだった。
「……じゃあ、おれは」
だれもいない相手に、一週間、全力で張り合っていたわけだ。
カツラギは、ランプのスイッチを切った。棟のあちこちで、つられたように明かりが落ちていく。みんな、ばつが悪そうだった。
けれど、この一週間、棟が放ちつづけた光は、もうとっくに旅に出たあとだった。
はるか遠くの星で、越してきたばかりの男が、ベランダで固まっていた。向かいに、ばかみたいに明るい窓がひとつある。ほかはぼんやりしているのに、そいつだけが白く、じりじりと、こっちをにらんでいた。
「……感じわるいな」
男はつぶやき、次の朝、金物屋へ走った。