いま、あなたが座っている椅子は秒速200kmで動いている。時速にすると72万km。音も振動もまったくないから信じにくいが、太陽系がまるごと、天の川銀河の中をその速さで突き進んでいる。

地面は止まっている。コップの水は揺れない。なのに私たちは、新幹線の数千倍の速さで宇宙空間を移動している。この矛盾の正体を、順にほどいていきたい。

止まっているように見えて、三重に動いている

私たちの運動は、実は入れ子になっている。

まず地球が自転している。赤道の上にいる人は、それだけで時速1700kmほどで東へ運ばれている計算になる。音速を超える速さだが、もちろん誰も風圧なんて感じない。

その地球が、今度は太陽のまわりを公転している。こちらは秒速およそ30km。1年かけて太陽を1周する。ここまでは学校で習ったとおりだ。

問題はその先にある。太陽そのものが、天の川銀河の中心を回っているのだ。NASAによれば、太陽系は時速72万km(秒速およそ200km)で銀河の中を移動している。地球が太陽を回る速さの、だいたい7倍にあたる。

つまり私たちは、自転する地球に乗り、その地球ごと太陽を回り、さらに太陽ごと銀河を回っている。三段重ねの回転木馬の、いちばん外側に立っているようなものだ。

日常の乗り物と、地球・太陽の公転速度を秒速で並べた棒グラフ。太陽の銀河公転が突出して長い

秒速200kmがどれくらいか、身近な距離に置き換えてみる。東京から大阪までおよそ400km。この速さなら、たった2秒で着いてしまう。地球を一周するのにかかる時間も、わずか3分ちょっとだ。

では、そんな猛スピードで回っている銀河を1周するには、いったいどれだけの時間がかかるのか。

1周するのに2億3000万年という桁

ここで少し立ち止まってほしい。秒速200kmで走り続けて、銀河を1周するのにかかる時間。NASAはこう書いている——約2億3000万年。

数字が大きすぎて、正直あまりピンとこない。なので、地球の歴史を物差しにしてみる。

恐竜が絶滅したのは、およそ6600万年前だ。あの大量絶滅から今日までに太陽が進んだ距離は、銀河を1周する道のりの3分の1にも満たない。言い換えると、恐竜が消えてからずっと、太陽は銀河をまだ3分の1周もしていないことになる。

銀河を1周する時間に地球のできごとを重ねた図。恐竜絶滅からの道のりは約3分の1周

人類の話になると、スケールはさらに極端になる。私たちホモ・サピエンスが地球に現れたのは、ざっと30万年前。2億3000万年の軌道の上では、点を打つことすらできない短さだ。文明の歴史に至っては、ほとんど目盛りの線1本の太さに埋もれてしまう。

一方で、太陽自身はおよそ46億歳とされる。これを2億3000万年で割ると、ちょうど20くらい。つまり太陽は生まれてから今日まで、銀河をおよそ20周したことになる。1周ごとに地球の上では生き物が入れ替わり、大陸の形すら変わってきた。

ちなみに、太陽がこの銀河を1周する時間を、天文学では「銀河年」と呼ぶことがある。地球にとっての1年が太陽を1周する時間なら、太陽系にとっての1年が、この2億3000万年というわけだ。この物差しでいくと、太陽はまだ20歳そこそこの若者ということになる。

1周に2億3000万年もかかるのは、言うまでもなく軌道がとてつもなく大きいからだ。では、その軌道はどれほどの広さなのだろう。

軌道の半径は2万6000光年

天の川銀河を真上から見下ろせたとしたら、その姿は巨大な渦巻き状の円盤になる。NASAの資料では、直径は約10万光年。光の速さでも、端から端まで横切るのに10万年かかる広さだ。

太陽はその円盤のどこにいるのか。中心ではない。むしろ外寄りで、銀河の中心からおよそ8キロパーセク、光年に直すと約2万6000光年のところにいる。

天の川銀河を真上から見た図。太陽は中心から2万6000光年、円盤の外寄りにある

1光年は約9兆5000億km。その2万6000倍を半径とする円を、秒速200kmでぐるりと回る。だから1周に2億年を超える時間がかかる。猛スピードなのに気の遠くなる時間がかかるのは、舞台があまりに巨大だからだ。

もう一つ、時間の側から見てみる。人の一生を80年とすると、その間に太陽が銀河を進む距離は、1周ぜんたいの300万分の1ほどにしかならない。軌道の上では、まばたきほどの移動だ。ところがその「まばたき」を実際の距離に直すと、5000億kmを超える。一生をかけて、私たちは太陽ごと、それだけの宇宙空間を音もなく運ばれている。

数字で押されると、かえって実感が遠のくかもしれない。でも要するに、私たちは銀河という円盤の中心からずいぶん離れた縁のほうを、ゆっくり大きく回る席に座っている、ということだ。

太陽の住所は、渦巻きの枝の上

その「席」には、もう少し具体的な住所がある。

NASAの資料によれば、太陽は「オリオン腕(Orion Arm)」と呼ばれる場所にいる。天の川銀河の渦巻きを形づくる、いくつもの腕のうちの一本だ。都会の中心部ではなく、郊外を走る一本の通り沿いに家がある、とでも言えばいいだろうか。

これは、ただの住所の話では終わらない。銀河の中心に近いほど、星はぎゅうぎゅうに密集している。もし太陽がそんな都心部にあったら、夜空は無数の明るい星で埋め尽くされ、近くの星からの強い放射が地球の環境をかき乱していたかもしれない。郊外の静かな通りにいるおかげで、私たちの空は、ほどよくすいている。

白状すると、この「住所」の感覚をつかむまで、私は銀河をのっぺりした一枚の光の円盤だと思い込んでいた。実際には明るい腕と暗い隙間が入り混じった立体的な街で、太陽はその一角を、決まった速さで流れ続けている。

これほど激しく動いているのに、私たちはなぜ、ぴくりとも揺れを感じないのだろう。

なぜ、動いていると気づけないのか

答えは、速さそのものではなく「速さが変わらないこと」にある。

私たちが体で感じるのは、速度の変化、つまり加速や減速だ。急発進する電車ではつり革が後ろに流れ、カーブでは体が外に振られる。でも、一定の速さでまっすぐ進んでいる間は、何も感じない。

飛行機を思い出してほしい。時速900kmで飛んでいても、水平飛行に入ってしまえば、機内でコーヒーを注いでもこぼれない。周りの座席も、空気も、自分と同じ速さで動いているからだ。

太陽系の銀河公転も、これと同じだ。地球も、空気も、あなたも、太陽系の乗客としてそっくり同じ速さで運ばれている。基準になる「止まったもの」が周りにないから、動きはすっかり隠れてしまう。ガリレオが見抜いたこの原理は、銀河のスケールでもそのまま効いている。

想像してみてほしい。もし宇宙空間のある一点に、鉛筆の先ほどの目印を固定できたとする。あなたがその目印に触れた次の瞬間、1秒後には、目印は200kmも後方へ流れ去っている。感じないだけで、私たちはこの一文を読む数秒の間にも、もう銀河の中を1000km近く移動している。

この回転木馬の、次の一周

太陽が今いる場所に戻ってくるのは、2億3000万年後だ。

そのとき地球はまだ回っているだろうか。人類はいるだろうか。前回ここを通ったとき、陸にはまだ恐竜の祖先が現れたばかりだった。次に戻るころ、地上を見上げる存在がいるとして、それが何なのかは誰にもわからない。

天文学者たちは、太陽の軌道が完全な円ではなく、上下に波打ちながらゆっくり進んでいることも突き止めている。回転木馬は、ただ平らに回っているわけでもないらしい。足元の運動ひとつとっても、まだ測り続けている最中の話なのだ。

今夜、空を見上げて星が止まって見えたら、それは星が止まっているのではない。あなたも星も、同じ巨大な円盤に乗って、音もなく同じ方向へ流れている。止まっているのは、いつだって見ている自分のほうだけだ。