心臓の付け根から肺へ向かう血管の中に、いま、ごく小さなセンサーを埋め込まれて暮らしている人がいる。そのセンサーの設計のおおもとは、病院ではなく、宇宙ステーションのために考えられた無線技術だ。
電池は入っていない。手術らしい手術もいらない。それでも胸の内側から、毎日ひとつの数字を外に送り出している。
この数字、最初に知ったときは何かの読み間違いかと思った。装置を埋め込んで1年後、心不全による入院が73%も少なかったという。宇宙飛行士の体調を測るはずだった技術が、どうして地上の患者の心臓に行き着いたのか。その回り道の話をしたい。
宇宙では、電池がいちばんの敵になる
もとをたどると、NASAのグレン研究センター(米オハイオ州クリーブランド)での仕事に行き着く。ここで無線通信を担当していたのが、マイクロ波通信の技師レイニー・サイモンズ博士と、同センターのフェリックス・ミランダ博士だ。
宇宙で機器を動かすとき、いちばん厄介なのが電源だ。電池は重いし、劣化するし、交換に人手がかかる。配線を一本増やすだけでも、打ち上げる重さと故障の種が増える。
だから二人が取り組んだのは、電池も配線も持たないセンサーだった。外から電波を当てると、その電波のエネルギーだけで一瞬だけ目を覚まし、測った値を電波に乗せて返す。自前の電源をまったく持たない受動的な仕組みだ。
サイモンズ博士とミランダ博士が磨いたのは、無線通信用の集積回路と、小さなアンテナを組み合わせた仕組みだった。外から届いた電波をアンテナが受け、その力でごく短い通信を一回だけこなす。長く動かし続ける必要がないからこそ、電源をまるごと省けた。
妙な話だが、この「何も持たせない」という割り切りこそが、のちに人の体の中で効いてくる。体の中に電池を入れれば、残量を気にする日が来るし、いつかは交換の手術も要る。最初から電池がなければ、その心配ごとはまるごと消える。宇宙で嫌われた制約が、人体という別の「電池を替えにくい場所」でそっくり武器に変わった。
電波で起こして、電波で答えを受け取る
仕組みそのものは、言葉にするとあっけない。
患者は手のひらサイズの端末を胸に当てる。端末が電波を送ると、血管の中のセンサーがそのエネルギーで起き上がり、そのとき感じている圧力を測って、答えを電波で返す。それだけだ。
商品名はCordella肺動脈センサー・心不全管理システムという。「肺動脈」は、心臓から肺へ血液を押し出す太い血管のこと。センサーはこの血管の中に置かれる。
埋め込みといっても、胸を開くわけではない。細い管を血管に通していく、ステント留置とよく似た手技で入れられる、とサイモンズ博士は説明している。大がかりな手術は要らず、患者自身が自宅で端末を操作できるほど扱いはやさしい。
家庭の体重計とそう変わらない気軽さで、血管の内側の圧が測れる。白状すると、この手軽さを知るまで、体内センサーというのはもっと物々しいものだと思い込んでいた。
なぜ「肺動脈の圧」なのか
ここからが本題で、個人的には一番好きな部分だ。測っているのが体重でも脈でもなく、肺動脈の圧だというところに意味がある。
心不全が悪くなるとき、体には順番がある。まず肺へ向かう血管の圧がじわじわ上がる。息切れや脚のむくみといった、目に見える症状が出るのはそのあと。NASAの資料によれば、圧の上昇は入院が必要になる数日から数週間も前から始まることがあるという。
つまりセンサーは、本人がまだ苦しくなる前の静かな段階で、異変を拾える。圧が上がってきたら、医師は入院を待たずに薬を調整できる。症状が出てから慌てて駆け込むのではなく、嵐が来る前に窓を閉めるようなものだ。
体重やむくみを手がかりにする従来のやり方だと、気づいたときにはもう症状が出ている。朝の体重が増えるころには、体には余分な水がたまり始めている。センサーが見ているのはその上流、血管の内側の圧そのものだ。
なぜ一歩手前で気づけることがそんなに大事なのか、少し考えてみてほしい。心不全の悪化は、坂道を転がり始めた玉のようなもので、転がり出す前なら指一本で止められても、勢いがつくと病院のベッドが要る。センサーはその玉がまだ動く前の、静かな斜面に立っている。この「一歩手前」が、次の数字を生む。
1年で、入院が73%減った
その効果が、冒頭の数字だ。延べ600人を超える臨床試験で、センサーを埋め込んだ1年後、心不全による入院は73%少なかったとNASAは報告している。
10回あった入院が3回以下になる、という大きさだ。心不全の入院は本人のつらさだけでなく、入院のたびに体をさらに弱らせ、次の入院を呼び込む。繰り返すほど坂はきつくなる。その連鎖のいちばん最初の入口を、胸の中の小さなセンサーが細く絞っている。
数字だけ見ると医療機器の手柄のようだが、根っこにあるのは「電池を持たせない」という宇宙ゆえの制約だった。地上なら電池を入れればいいと考えがちな場面で、あえて電源を捨てた設計が、体内に長く置ける装置という形で返ってきた。
制約から生まれた工夫が、まわりまわって人の役に立つ。宇宙開発の技術が地上におりてくる話には、この手の逆転がよくある。
研究室の電波から、心臓まで20年あまり
ただ、研究室のアイデアが患者の胸に届くまでの道のりは、まるで短くない。
無線で電力を送り信号を返す技術の特許が出願されたのが2003年。これを医療機器として育てたのが、2007年に設立されたEndotronix社(現在はEdwards Lifesciences傘下)だ。そして米食品医薬品局(FDA)がこのセンサーを承認したのが2024年6月。最初の発想から、20年あまりが過ぎている。
技術は生まれた瞬間に役立つわけではない。誰かがその使い道を見抜き、別の分野へ運び、安全性を一つずつ確かめて、ようやく人の体に入る。宇宙のための無線センサーが心臓の血管に落ち着くまで、何人もの手を渡ってきた。
Endotronix社はイリノイ州ネイパービルで生まれ、NASAが持っていた無線給電と信号伝送の技術のライセンスを受けて、これを体内用の医療機器として作り直した。宇宙機器の設計図がそのまま心臓に入ったわけではない。人体で安全に働くように材料も形も作り替え、長い臨床試験を重ねて、ようやく承認にたどり着いている。
NASAはこうした技術の民間転用を毎年たくさん記録している。今回のセンサーは、そのなかでも「宇宙の制約」と「地上の切実さ」がきれいに噛み合った一例だと言える。宇宙のために削ぎ落とした設計が、地上でいちばん助けの要る場所にぴたりとはまった。
胸の中で、静かに宇宙技術が働いている
GPSにしても、スマホのカメラの画像センサーにしても、宇宙のために磨かれた技術が、気づかないうちに暮らしへ入り込んでいる例は多い。道案内が正確なのも、写真がきれいに撮れるのも、もとをたどれば宇宙開発の副産物だったりする。だがその多くは、便利さとして手のひらの外側にある。
このセンサーは違う。宇宙ステーションのために考えられた仕組みが、人の血管の内側に収まり、入院という最も重い出来事を未然に減らしている。
もしあなたの身近に心不全を抱える人がいて、ある朝その人が胸に端末を当てて数字を読み上げたとする。本人は宇宙のことなど考えてもいないだろう。だがその小さな装置の設計思想は、もとをたどれば宇宙飛行士の体を電池なしで測るために練られたものだ。夜空の向こうを目指した工夫が、いまはいちばん助けを必要としている人の胸の中で、音もなく働いている。