今から2ヶ月ちょっと後の8月30日、一台の望遠鏡が地球を離れる。

NASAのNancy Grace Roman(ナンシー・グレース・ローマン)宇宙望遠鏡。総重量2,200kg超、主鏡の直径2.4m、観測カメラの解像度はおよそ3億画素。どれをとっても規格外の数字だが、一番面白いのはその「視野の広さ」だ。ハッブル宇宙望遠鏡と同じ鮮明さを保ちながら、一度に100倍の空を写せる。

打ち上げは当初2027年5月までの予定だった。それが今年の8月30日に前倒しになった。8ヶ月の短縮だ。


完成した望遠鏡が今、箱に詰められている

2025年11月、Roman はメリーランド州ゴダード宇宙飛行センターで「建造完了」の宣言を受けた。それから半年、エンジニアたちはフロリダ州ケネディ宇宙センターへの輸送準備を進めてきた。

今月(2026年6月)中に、望遠鏡は梱包されてトラックに乗り込む。着いたら徹底的な点検が待っている。輸送中に何かひびが入っていないか、ネジが緩んでいないか、センサーが狂っていないか。宇宙に行った後で発覚しても修理には行けないから、地上でできる確認はすべてやる。

続いて打ち上げのリハーサル、燃料タンクへのヒドラジン充填(約1,100リットル)、ロケットへの装着。SpaceX の Falcon Heavy に載って、打ち上げ当日を迎える段取りだ。

正直、これだけ聞いても気分は上がらないかもしれない。「まだ打ち上げ前の話か」と思うかもしれない。でも、宇宙望遠鏡というのは、打ち上げてしまえば終わりではなく、「送り出すまで」の地上作業こそが科学の質を決める。

Roman 宇宙望遠鏡とハッブルの視野比較


なぜ100倍の視野が必要なのか

ハッブル宇宙望遠鏡は天文学を変えた。遠くにある銀河の姿、超新星爆発の明るさ、宇宙の年齢の推定。30年以上にわたってハッブルが映してきたものは、宇宙の概念ごと書き換えた。

だが、ハッブルには根本的な限界がある。「狭い」ことだ。

ハッブルが一度に写せる空の範囲は、満月の約50分の1程度。望遠鏡を少しずつずらしながら、モザイクのように繋ぎ合わせて広いマップを作る。時間がかかるし、全天を網羅するのはほぼ不可能に近い。

Roman はそこを解決する。広視野撮像装置(WFI: Wide Field Instrument)は、約0.28平方度の視野を一枚の画像に収める。ハッブルの視野と比べると100倍以上の面積だ。3億画素のカメラで赤外線観測をしながら、ハッブルと同等の解像度を維持する。

これは何を意味するか。「数億個の銀河を同時に追える」ということだ。

一個の銀河を深く研究するより、何億個もの銀河の分布・明るさ・距離を統計的に追えると、宇宙全体の「傾向」が見えてくる。宇宙がどのような速さで膨張してきたか。どこに質量が集まっているか。そういう問いに答えるには、深さより広さが必要だ。


3つの謎に同時に挑む

Roman の科学目標は、大きく3つに分かれる。

暗黒エネルギー(ダークエネルギー): 宇宙は現在、加速しながら膨張している。その原因は「暗黒エネルギー」と呼ばれているが、正体は誰も知らない。宇宙全体のエネルギーの約68%を占めると計算されているのに、直接観測できたことがない。Roman は、数億個の銀河の分布と赤方偏移(遠ざかる速さを示す光の変化)を精密に測定することで、宇宙の膨張の歴史を時系列で追う。暗黒エネルギーが常に一定だったのか、変動してきたのかが、少しずつ絞り込まれるはずだ。

系外惑星: 他の星のまわりを回る惑星を探す技術は、ここ20年で劇的に進んだ。Roman は「マイクロレンズ法」と呼ばれる手法で、銀河系内の惑星を10万個以上統計的にカタログ化する。さらに、「コロナグラフ」という特殊な装置を使って、太陽に似た星の周囲を直接撮影することも試みる。コロナグラフは星の光をピンポイントで遮断し、そのまわりにいる暗い惑星を浮かび上がらせる。地球に似た惑星を「直接撮った」事例が増えれば、生命が存在できる環境を統計的に語ることができる。

赤外線天体物理学: ここが一番幅広い。銀河の形成と進化、宇宙の大規模構造、星の誕生と死、ブラックホール周囲のガスの動き。5年間の主要ミッション期間で、Roman は約2万テラバイトのデータを地球に送り返す予定だ。これは現役の多くの宇宙望遠鏡が生涯で集めるデータ量を超える。

Roman の目的地: ラグランジュ点 L2


L2という「特等席」

Roman が向かうのは、地球から約150万km離れた「ラグランジュ点 L2」という場所だ。太陽と地球を結ぶ線の延長上、地球の「後ろ」にある。

L2には面白い性質がある。太陽・地球・月が常にほぼ同じ方向に並ぶことだ。望遠鏡の「遮光板」を一方向に向ければ、これら3つの明るい天体からの光を一度に防ぐことができる。赤外線を使うセンサーは熱に敏感なので、太陽光が直接当たらない安定した場所が必要だった。

もう一つのメリットは地球との通信距離だ。月よりは遠いが、火星よりはずっと近い。データを地球に送りやすい。

ここには現在、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)も滞在している。Roman が合流すれば、「広く・浅く」見る Roman と「狭く・深く」見る JWST が、同じ場所から補い合うように宇宙を観測する体制が整う。2台の宇宙望遠鏡が L2 から同時に観測を続けるという状況は、天文学史上初めてのことになる。


ナンシー・グレース・ローマンという人

望遠鏡の名前になったナンシー・グレース・ローマンは、NASAが設立された1958年に NASA 最初の天文学部長になった人物だ。女性として初の主要管理職の一人でもある。

ハッブル宇宙望遠鏡の立案に深く関わり、「ハッブルの母」とも呼ばれた。ハッブルが1990年に打ち上げられたとき、ローマンはすでに退職していたが、構想から打ち上げまでの礎を作ったのは彼女の仕事だった。2018年に99歳で亡くなり、翌年、この望遠鏡に彼女の名前がつけられた。

ハッブルを作った人の名前を冠した望遠鏡が、ハッブルの100倍の視野で宇宙を見る。そういう連続性がある。

Roman が狙う3つの科学目標


8月末の空で何が起きるか

打ち上げは8月30日だ。フロリダのケネディ宇宙センターから、Falcon Heavy ロケットで東向きに飛び立つ。打ち上げから数十分後に望遠鏡が分離し、そこから約30日かけて L2 に向かう軌道に乗る。

L2 到着後、センサーの冷却と調整に数ヶ月を費やす。宇宙望遠鏡は地上と違って「電源を入れてすぐ動く」わけにはいかない。センサーを宇宙の極低温に慣らし、光学系を最終調整し、テスト観測で性能を確認してから、ようやく実際の科学観測が始まる。最初のデータが公開されるのは、早くても打ち上げから半年後になる見込みだ。

Roman が最初の画像を送ってくる前に、宇宙ではすでに数十億年分のデータが待っている。望遠鏡はそれをまとめて受け取りに行く。


今から2ヶ月後、Falcon Heavy が煙を上げる瞬間に、一台の3億画素カメラが地球を離れる。宇宙の95%を占める謎(暗黒物質と暗黒エネルギー)に向かって飛ぶ、ちょっと大げさに言うと人類の「解答用紙」のようなものだ。

宇宙望遠鏡の打ち上げはいつも、地上でできる最高の準備が終わった後の、最初の一歩だ。

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