朝、起きた直後のあなたは、夜のあなたより少しだけ背が高い。一日の終わりには背骨のクッションが体重に押しつぶされて、数ミリ縮んでいるからだ。地上では寝ている間にまた元へ戻る。
ところが宇宙では、その「朝の背」が戻らないまま伸び続ける。
しかも伸びるだけではない。顔はむくみ、脚は細くなり、骨は毎月ごっそり減っていく。体が「もう重力ないんでしょ?」とばかりに、地上仕様を勝手に解除していくのだ。
まず、体の水がいっせいに頭へ向かう
無重力に入って真っ先に起きるのは、体液の大移動だ。
地上では、血液や体の水分は重力に引かれて自然と下半身にたまる。心臓はそれを一日中せっせと上へ汲み上げている。ところが宇宙では引っぱる力が消えるので、脚や下半身にたまっていた水が、いっせいに胸や頭のほうへ移動してしまう。NASAは、無重力では体液が頭側へシフトすると説明している。
この移動は、宇宙に着いてからゆっくり進むわけではない。重力が消えた瞬間から始まり、ほんの数日で顔つきが変わってしまう。
結果、宇宙飛行士の顔はパンパンにむくむ。逆に脚は水が抜けて、本人たちが「鳥の脚(バードレッグ)」と呼ぶほど細くなる。ズボンがぶかぶかになり、履いていた靴も緩くなるという。
寝起きに鏡を見て、まぶたが腫れぼったかった朝を思い出してほしい。あれは横になっている間、顔にも体液が回るからだ。宇宙飛行士はあの状態が、寝ても起きてもずっと続く。鼻づまりや、味覚が鈍く感じるという報告もあるらしい。
想像してみてほしい。半年間、ずっと顔がむくんで鼻がつまり、鏡の中では脚が棒のように細い自分。慣れるまではかなり奇妙な気分だろう。
心臓は形まで変えて、手を抜きはじめる
体の水が頭に寄ると、次に割を食うのは心臓だ。
面白いのはここからで、心臓は「もう下から汲み上げなくていい」と気づくと、あっさり働き方を変える。NASAの解説によれば、無重力では心臓の形そのものが変わっていく。水の入った風船のような楕円形から、空気を入れた風船のような球形へと丸くなるのだ。
さらに全身をめぐる血液の量そのものが減る。血管を締めたりゆるめたりして血の流れを調整していた筋肉も、使われないので衰えていく。要するに、心臓も血管も「そんなに頑張らなくていい環境」に最適化されてしまうわけだ。
臓器がサボるというと聞こえは悪いが、これは怠けではなく合理化だ。楽な環境で余分な仕事を続けるほうが、生き物としては不自然なのだから。
これ自体は宇宙にいる間はさほど困らない。困るのは地球に帰ってきたときで、その話は最後に取っておこう。
骨は「もう支えなくていい」と判断して溶けはじめる
ここまでは水の移動の話だった。だが本当に手強いのは、骨だ。
地上で私たちの骨、とくに背骨や腰の骨は、一日中まじめに体重を支えている。骨はその負荷を感じ取って、せっせとカルシウムなどのミネラルを溜め込み、強度を保っている。
では、その支える仕事がなくなったら?
骨は驚くほど正直で、「もう支えなくていいなら、材料はいらない」と判断してしまう。NASAによれば、体重を支える骨は宇宙飛行では平均して毎月1〜1.5%のミネラル密度を失う。とくに減るのは背骨と腰(hip)の骨だと報告されている。
この数字、最初は誤植かと思った。毎月1%というのは、半年のミッションなら単純計算で6〜9%になる。地上で骨がスカスカになる骨粗鬆症でも、進行は普通もっとゆっくりだ。宇宙飛行士は、それをわずか数ヶ月でやってしまう。
しかも溶け出したミネラルは、ただ消えるわけではない。血液に流れ込み、腎臓を通って体の外へ出ていく。この過程が結石のリスクを上げるとも言われていて、骨が減ることは骨だけの問題では済まない。
同じ理由で、体を動かさなくても済む無重力では筋肉も落ちる。NASAは、きちんとした食事と運動をしないと、宇宙飛行士は地上より速く筋肉量を失うとしている。骨も筋肉も、負荷というご褒美がなければ手を抜く。人体は思った以上に省エネ主義なのだ。
背が伸び、そして目がかすむこともある
骨が減る一方で、背骨は逆に伸びる。ここは分けて考えたい。
減るのは骨の中身のミネラルで、伸びるのは骨と骨の間にあるクッション、椎間板(ついかんばん)のほうだ。地上では体重に上下から押されて薄くなっている椎間板が、無重力では押す力を失ってふくらむ。その分、背骨全体が長くなる。
冒頭の「朝は背が高い」話を思い出してほしい。あれと同じ現象が、宇宙では途切れずに続く。地上の「朝」が半年ぶっ通しで来るようなものだ。だから宇宙飛行士は数センチ単位で背が高くなることがある。
白状すると、この「背が伸びる」話を長いこと、ちょっとお得な現象くらいに思っていた。だが実際はそう甘くない。急に伸びた背骨が神経を刺激して、腰や背中が痛むこともあるという。
そして頭側に寄った体液は、目にも影響する。NASAは、頭部へ移動した体液が眼を圧迫し、視力の問題を引き起こすことがあると説明している。宇宙にいる間に見え方が変わってしまう飛行士がいるのだ。「無重力=ただ楽ちんに浮いている」というイメージとは、だいぶ違う。
だから宇宙飛行士は、毎日ひたすら運動する
骨や筋肉が「負荷がないと手を抜く」なら、対策はひとつしかない。無いはずの負荷を、無理やり作ってやることだ。
宇宙ステーションにトレーニング機器が並んでいるのは、健康維持の趣味ではない。骨に「まだ支える仕事があるぞ」と勘違いさせ、材料を捨てさせないための、いわば地上仕様のつなぎ止め作業だ。NASAも、飛行後の骨密度の低下を抑え筋力を鍛えるうえで運動が欠かせないとしている。
妙な話だが、宇宙で楽をできるはずの体を、わざわざ地上と同じくらい働かせ続けないと、体は崩れていく。浮いて暮らせる環境で、地上より汗をかくのだ。
それでも運動だけでは骨の減少を完全には止めきれない。NASAは、骨の減りを和らげる薬(ビスホスホネートという骨粗鬆症の治療薬)についても研究していると述べている。運動というアナログな手段に、薬という助っ人を足す。人体を地上仕様に引き止めるのは、それだけ骨の折れる仕事なのだ。
地球に帰るとき、体を「地上仕様」に戻す作業が待っている
さて、宇宙に最適化された体で地面に降りると、何が起きるか。
一番わかりやすいのが立ちくらみだ。血液の量が減り、心臓も血管も手を抜いていた体に、いきなり重力が戻る。血液は素直に下半身へ落ちようとするのに、それを引き上げる力がもう弱っている。NASAも、血液量の減少と心血管の衰えが、血圧の低下を調整する能力を下げると説明している。だから帰還直後の飛行士は、自分の足で立つことすら難しい。
減った骨も、伸びた背も、すぐには元に戻らない。時間をかけたリハビリで、少しずつ地上仕様へ引き戻していく。上がるときより、下りてからのほうが大変なのだ。打ち上げの派手な炎に比べて、帰還後の地道なリハビリが語られることは少ない。だが飛行士にとっては、ここからが本当の正念場だ。
ここで少し立ち止まってほしい。宇宙で体に起きたことは、故障でも病気でもない。体は、与えられた環境に対してきわめて合理的に適応しただけだ。重力がないなら骨はいらない、汲み上げないなら心臓は楽をする——全部、理にかなっている。
裏を返せば、私たちの体は骨の一本、心臓の一拍にいたるまで、地球の重力があることを前提に設計されているということだ。
今朝あなたが夜より数ミリ高かったのも、夕方に少し縮むのも、その設計図がきちんと働いている証拠である。宇宙飛行士の変わり果てた体は、地上にいる私たちが毎日ただで受け取っている重力の恩恵を、裏側から静かに照らし出している。