天の川の中心には、太陽をまるごと400万個分も詰め込んだブラックホールがいる。その名はいて座A*。もしそのすぐ隣で、ミリ秒ごとに規則正しく光を放つ「死んだ星」が回っていたらどうだろう。人類はとんでもない道具を手に入れることになる。
「死んだ星」というのは中性子星のことだ。星が寿命の最後に大爆発したあとに残る、ぎゅっと潰れた芯である。それが規則正しく明滅して見えるとき、私たちはそれをパルサーと呼ぶ。
正直、これを初めて知ったとき声が出た。宇宙で一番正確な時計は、原子時計でも電波時計でもなく、燃え尽きた星の残骸かもしれないのだ。
なぜ「死んだ星」が正確な時計になるのか
パルサーは、爆発した星の残骸である中性子星が高速で回転しているものだ。NASA の解説では、灯台にたとえられている。回転しながら細いビームを振り回し、そのビームが地球のほうを向くたびに、ぴかっと信号が届く。
ポイントは、この明滅がとんでもなく規則正しいことにある。NASA によると、パルスの間隔はミリ秒から秒のオーダーで、そのリズムがほとんど狂わない。ミリ秒周期のものなら、1秒間に何百回も自転していることになる。
なぜそんなに正確なのか。中性子星が、けた外れに重くて硬い「コマ」だからだ。いったん高速で回りだすと、その回転はなかなか乱れない。だから明滅の間隔が、時計の秒針のように安定する。
しかも、回っているのは山ひとつぶんどころではない質量のかたまりだ。それだけ重いものが高速で自転すれば、外から少々つつかれてもリズムはびくともしない。宇宙空間には空気抵抗もないから、いったん回りだした中性子星は、ほとんど減速せずに回りつづける。
研究者たちは、その安定ぶりが原子時計と張り合えるほどだと考えている。宇宙のあちこちに、勝手に時を刻みつづける精密時計が浮かんでいるようなものだ。
ではこの時計を、銀河の中心にいる怪物のそばに置いたら、何が起きるのか。
銀河の中心に潜む、太陽400万個分の怪物
いて座A*は、天の川銀河のど真ん中に鎮座する超大質量ブラックホールだ。ESO(ヨーロッパ南天天文台)によれば、その質量は太陽の約400万倍、地球からの距離は約2万6000光年ある。
2万6000光年と言われても、ピンとこないと思う。光の速さで2万6000年かかる、ということだ。いま私たちが受け取っている中心からの光は、地球にまだ氷河期のマンモスがいた頃に、そこを出発したことになる。
その距離の果てに、太陽400万個分の重さが一点に集中している。周りの時空は、想像を絶するほど深く歪んでいる。
妙な話だが、これだけ重いものが近くにあると、時間の流れ方まで変わってしまう。強い重力のそばでは、時計がゆっくり進むのだ。
では、パルサーの時計をそのそばに置くと、刻みはどう狂って見えるのか。
強い重力は、時計を遅らせる
強い重力の中にある時計は、遠くから見ると遅れて進む。これはアインシュタインの一般相対性理論が予言する効果で、「重力による時間の遅れ」と呼ばれる。一般相対性理論とは、重力と時空の歪みを結びつけた理論のことだ。
実はこの効果、あなたのスマホが毎日お世話になっている。GPS衛星は地上より重力の弱い高い場所を飛んでいるので、地上の時計より速く進む。そのズレは1日あたりおよそ100万分の38秒。ごくわずかだが、補正しないと位置が数kmもずれてしまう。カーナビが交差点をきちんと言い当てるのは、この時間のズレを毎日打ち消しているおかげだ。
たった2万km上空でこれだけ効くのだから、太陽400万個分のブラックホールのすぐ隣なら、時間の遅れは桁違いに大きくなる。そのそばを回るパルサーの明滅は、地球で受け取ると間隔が伸びて届く。
ここで少し立ち止まってほしい。パルサーは自分では正確に時を刻んでいる。なのに、そのパルスがブラックホールの重力の谷を這い上がってくる間に、遅れが刻み込まれる。時計そのものは狂っていないのに、届く信号がずれる。
このずれ方を精密に測れれば、逆算してブラックホール周りの時空の歪みを読み取れる。時計を1つ置くだけで、目に見えない歪みが数字になるわけだ。
すでに一度、1つの星が「証拠」を見せた
実は、いて座A*の重力が時空を歪めている証拠は、すでに星の動きから見つかっている。
ESO によると、S2 と呼ばれる星が、いて座A*のまわりを約16年かけて一周している。最も近づくとき、その距離は200億kmを切り、地球と太陽の間の約120倍まで迫る。そのときの速度は光速の約3%に達する。この星は、GRAVITY をはじめとする装置で27年にわたって追跡された。GRAVITY は4台の8メートル望遠鏡の光を1つに束ね、口径130メートル相当の解像度を得る仕組みだ。
その結果、S2 の軌道がぴたりと同じ楕円を描かず、少しずつ向きをずらしていくことがわかった。花びらが重なったバラの模様のように、ゆっくり回っていく。これは一般相対性理論が予言する「シュヴァルツシルト歳差」そのものだった。
GRAVITY の国際チームは2020年4月、この観測をアインシュタインの理論の裏付けとして発表した。星の動きだけで、ここまで測れたのだ。
面白いのはここからだ。星でこれだけできるなら、時計そのものであるパルサーを使えば、比べものにならない精度に届くかもしれない。
パルサーなら、けた違いの精度で時空を測れる
星の観測でわかるのは、その星が空のどこにいて、どれくらいの速さで動いているか、という位置と速度だ。一方パルサーは、正確な「時刻」そのものを電波にのせて送ってくる。
位置を測るのと、時刻を直接読むのとでは、精度がまるで違う。たとえるなら、遠くの人影を目で追うのと、その人の読み上げる時報を秒刻みで聞くくらいの差がある。いて座A*のそばで本物のパルサーが1つでも見つかれば、話は変わる。その明滅の遅れやリズムの変化から、ブラックホールの質量や自転(回転)を前例のない精度で測れる。研究者たちはそう期待している。
ここで、その時計がどれほど極端な天体かを思い出してほしい。NASA によれば、中性子星は太陽の1〜3倍の質量を、直径わずか20kmほどの球に押し込んでいる。都市がすっぽり収まるくらいの大きさだ。角砂糖1個分の中身が、地球上では山ひとつと同じ約1兆kgになる密度だ。
そんな怪物じみた星が、それでも規則正しく時を刻む。もしあなたがその表面に立てたなら、1秒間に何百回も足元が回り、頭上には太陽400万個分の闇が沈んでいるのが見えるはずだ。
ではなぜ、そんな絶好の時計がまだ確実には見つかっていないのか。銀河の中心はガスやちりが濃く、電波が乱されて散ってしまうからだ。星の光と違って電波は波が長いぶん、濃い霧の中を進むうちにリズムがぼやけてしまう。だからこそ、いて座A*のすぐ近くでミリ秒ほどの周期で回る天体の候補が報告されたとき、多くの研究者が色めき立った。それが本物のパルサーかどうかは、これから確かめられていく。
足元のGPSと、2万6000光年先の時計
強い重力が時計を遅らせる。この同じ物理が、あなたのポケットの中でGPSを支えている。そして2万6000光年先では、ブラックホールの正体を暴く鍵になる。スケールはまるで違うのに、働いている理屈は1つだ。
もし中心のパルサーが本物だと確かめられれば、話は大きく動く。人類が極限的に強い重力の下で、アインシュタインの理論を試せるようになる。ブラックホールがどれだけ重く、どれだけ速く回っているかが、明滅のずれから静かに読み取られていく。
太陽400万個分の闇のふちで、都市ほどの大きさしかない死んだ星が、ミリ秒ごとにきちょうめんに光を放っている。その小さな明滅が、宇宙で一番正確な物差しになるかもしれない。