マサじいというのが、町でいちばん時間に正確な爺さんである。ところがこの春から、その自慢の時間が西と東で食いちがいはじめた。

 じいの日課は、朝の六時だ。きっかりに家の前へ出て、大きな声で「六時!」とどなる。ただそれだけ。でも団地の人たちは、その声で目をさます。その声で一日を始める。ちなみにこの団地では、目ざまし時計がちっとも売れない。マサじいがいたからである。

「なあチカ、時間ってのはな、きっちりしとらんといかん」 「はいはい」  チカはあくびで返事をした。まだ六時なのだから、しかたない。

 まちがえたことのないはずのその声に、ある朝けちがついた。

「じいさん、けさの六時、ちょっと遅かったよ」  西のはしのおばさんが言った。マサじいは、かっとなった。 「遅い? わしが? 六十年、一秒も遅れたことなんぞないわい」 「でもさ、うちの時計だと六時十分でね」 「うちのも」「うちのもだよ」  西がわの家が、口をそろえる。ところが東がわは、まるで反対だった。 「なに言ってんの。じいさんはむしろ早いよ。うちの時計より、いつも前だもの」

 マサじいは、家じゅうの時計を調べた。ぜんぶ、ぴたりと合っている。目もいい。耳もいい。それなのに西は「遅い」、東は「早い」と言う。じいはその晩から眠れなくなった。

 わけを教えてくれたのは、ウメ婆さんだった。西のいちばんはしの窓ぎわで、のんびりお茶をすすっている。 「あんた、知らないのかい。西の空のむこうに、でっかい重たいのが来てるんだよ。宇宙の、ずうっと遠くからね。目には見えないけど」 「重たいの、が、どうした」 「重たいもののそばじゃあ、時間がゆーっくり進むのさ。近いほど、よけいにね。だからうちみたいな西のはしは、東より、ちょいと遅いんだよ」

 マサじいは、ぽかんと口をあけた。じいの声は、まちがっていなかった。町のほうが、二つの時間に割れたのだ。西はゆっくり、東はいつもどおり。ひとつの声で両方に正しい六時を告げるなんて、もうできない。

「じゃあ、わしは、どっちに合わせりゃいいんじゃ」  町は、あっさり決めた。西には西の六時、東には東の六時。時計を二つ持てばいい。それだけのことだった。マサじいの声は、東がわだけの「東の六時」になった。

 ここまでは、まだよかったのだ。

 困ったのは、そのあとだった。人々が、こそこそと西へ引っ越しはじめたのである。

「西はいいぞ。時間がゆっくりだから、ちょっと寝坊したって遅刻にならん」 「日曜が、東より長いらしいぞ」 「なんてったって、年を取るのが遅い。西のやつら、なんだか若く見えるだろ」

 だれも、東の時間なんぞほしがらなくなった。速くて、週末は短くて、年ばかり食う。そんな時間、だれがもらうものか。六十年、正確だけが自慢の爺さんだった。その「正しい六時」が、いまや町でいちばん人気のない六時である。

 次の朝、六時。マサじいの、あの声がしない。

 チカが窓からのぞいてみた。じいは家財道具をリヤカーに積んで、西のいちばんはしへ運んでいた。えっちらおっちら、ウメ婆さんのとなりへだ。荷物のてっぺんには、あの自慢の時計がのっている。

「じいさん、どこ行くの」 「西じゃ」マサじいは時計をぽんと叩いて、にやりとした。「わしも、そろそろ、ゆっくり生きるわい」

 その朝から、東がわで六時の声を聞いた者はいない。かわりに西のはしから、のんびりした声が聞こえるようになった。六時を、十分ほどすぎたころにだ。

「……六時。まあ、だいたい六時じゃ」

 六十年きっかりだった爺さんの「だいたい」である。西の家々はあくびまじりに、それをちゃんと聞いていた。