家のアンテナが壊れたら、脚立を出して数分で付け替える。ところが宇宙では、同じ「部品を一つ替える」だけのために、宇宙飛行士はまず自分の体から窒素を抜く。ドアを開けて外に出るまでに、何時間もかかるのだ。

宇宙ステーションでは、古くなったアンテナやポンプ、電池を、飛行士が船の外に出て取り替えてきた。この船の外での作業を、船外活動(EVA、extravehicular activity)と呼ぶ。地上なら工具箱一つで済む仕事が、真空と無重力の中では、まるで別の営みになる。

その「別物ぶり」を、準備から順にたどってみたい。

地上なら数分の修理が、宇宙では準備・訓練・作業の長い積み重ねになることを示す比較図

ドアを開ける前に、体から窒素を抜く

私たちが玄関のドアを開けるのに、準備は要らない。だが宇宙飛行士は、船外に出る前の数時間、100%の酸素を吸い続ける。体の中にたまった窒素を、すっかり追い出すためだ。

なぜそんなことをするのか。船内の空気には、私たちがふだん吸っているのと同じように窒素が混ざっている。その窒素は、血や体の組織にも溶け込んでいる。ところが宇宙服の中は、船内よりずっと低い気圧に保たれている。

急に低い気圧にさらされると、溶けていた窒素が泡になる。ちょうど、栓を抜いた炭酸飲料が一気に泡立つのと同じだ。この泡が関節や血管でふくらむと、激しい痛みを起こす。潜水の世界で知られる「減圧症」、いわゆるベンズである。

だから、外に出るという行為は、ハッチを開けるずっと手前から始まっている。マスク越しに酸素を吸い、体の内側を静かに作り替える。この下ごしらえを飛ばせば、外に出た瞬間に体が悲鳴をあげかねない。

白状すると、この仕組みを長いこと誤解していた。宇宙服は、ただ空気を送る風船だと思っていた。実際には、外に出る前から体を整える、繊細な段取りがそこにある。

船内では体に窒素が溶けているが、低圧の宇宙服内では泡立つため、事前に酸素で窒素を抜く仕組み図

水の中で、本番の7倍練習する

窒素を抜き終えても、まだ本番ではない。船外活動そのものが、そもそも長い。NASAによれば、いまの船外活動はたいてい5〜8時間続く。作業の中身によって変わるが、半日がかりの仕事だ。

しかも、その一時間ごとに、途方もない下積みがある。飛行士は本番の船外活動1時間につき、およそ7時間を訓練に費やす。練習の場は、巨大なプールの底に沈めた実物大の設備だ。中性浮力研究施設(Neutral Buoyancy Laboratory)という。

水の中でなら、体が浮いて無重力に近い状態を作れる。潜水員が付き添い、手すりの位置や工具を使う順番、体の向きを、地上なら数分の手順として何度もなぞる。どこを掴み、どちらを向き、次に何をするか。すべてを体に覚え込ませておく。

この数字、最初は計算を間違えたかと思った。仮に6時間の船外活動なら、訓練はおよそ42時間。丸2日近くを、たった半日の作業のために水の中でくり返すことになる。

本番では、やり直しがきかない。だから練習の段階で、迷いをできるだけ消しておく。宇宙で考え込む時間は、そのまま酸素と体力を削っていくからだ。船外での数時間は、酸素も集中力も、限りある持ち出しなのである。

船外活動1時間につき約7時間の訓練が必要で、6時間の作業なら約42時間になることを示す棒の比較図

手袋一枚で、氷点下157度と弾丸の間に立つ

なぜ、そこまで練習が要るのか。宇宙服を着た体は、地上とはまるで別の条件で動くからだ。

まず、温度がすさまじく振れる。地球を回る軌道では、日なたと日かげで、およそ氷点下157度から121度まで温度が変わる。その中で体温を保つため、飛行士は水を通したチューブ入りの下着(液体冷却換気下着)を着込む。汗をかくほど熱がこもる一方、日かげでは一気に冷える。その両方を、下着の水が調整している。

外を飛ぶ塵も脅威だ。宇宙をただよう細かな塵は、弾丸のような速さで飛んでくる。宇宙服は、この塵や強い日ざし、放射線からも体を守っている。背中には酸素を送り、吐いた二酸化炭素を取り除く生命維持装置を背負う。宇宙服はいわば、一人用の最小の宇宙船だ。

面白いのはここからだ。これだけの装備が、逆に作業を難しくする。分厚い手袋の中で、小さなネジを指先だけで回す。手を握って開くだけでも、地上より力が要る。数時間もこれを続ければ、前腕はすぐに疲れてしまう。

宇宙服が氷点下157度から121度の温度差・真空・塵・放射線から体を守り、内側に冷却下着と生命維持装置を備えることを示す図

ネジを回すと、回るのは自分のほうだ

無重力では、もう一つやっかいなことが起きる。体を押さえてくれる重さがないのだ。

地上でネジを回せるのは、足が地面を踏み、体重が体を留めているからだ。ところが宇宙では、ネジを回そうと力を入れると、その反作用で回るのは自分の体のほうになる。作用に対して反作用がある、というあの法則が、ここでは容赦なく効いてくる。

だから飛行士は、まず自分を固定する。足場に足を留め具でしっかり結び、あるいは片手で手すりを握って、体を「地面」の代わりに繋ぎ止める。そうしてはじめて、もう一方の手で工具を使える。うっかり足がはずれれば、力を入れたとたんに体がくるりと回ってしまう。

手を離した工具も、その場に落ちてはくれない。ふわりと漂って、そのまま逃げていく。だから工具の一本一本にも、短い綱がつないである。地上なら床に転がるだけのドライバーが、宇宙では回収不能な迷子になる。

つかまり損ねたら、二度と戻ってこられない

工具ですらそうなら、人間はなおさらだ。飛行士自身も、命綱(テザー)で船体につないでおく。手を離した瞬間に宇宙へ流れていかないための、生命線である。

想像してみてほしい。あなたはハッチを開け、手すりをつかんで外に出る。足の下には地面がない。あるのは、はるか下でゆっくり回る地球だけだ。しかも地球は約90分で一周するから、外にいる数時間で、日の出と日の入りを何度もくぐることになる。

しかも、静かに浮かんでいるように見えて、体はとんでもない速さで動いている。宇宙ステーションは秒速およそ8キロ、時速にして約2万8千キロで地球を回る。東京から大阪までを、1分もかからず飛び越える速さだ。その上で、飛行士は小さなネジをそっと回している。

もし手すりから手が離れ、命綱もなかったら。押し返してくれる壁も、踏ん張る床もない。その最後の備えとして、飛行士はジェット噴射のついた背負い装置(SAFER)も着ける。万一漂い出しても、自力で船へ戻るための切り札だ。

個人的に、いちばんぞっとするのはここだ。地上なら「落ちる」で済むことが、宇宙では「二度と戻れない」に化ける。

それでも、人が船の外へ出ていく

人が初めて船の外に出たのは、1965年3月18日。旧ソ連のアレクセイ・レオノフが、わずか10分だけ宇宙に身をさらした。その年の6月には、アメリカのエド・ホワイトが23分の船外活動を行っている。10分から、いまの5〜8時間へ。人が真空で過ごせる時間は、半世紀あまりでここまで伸びた。

ロボットの腕も使えるのに、なぜ人が出るのか。予想外のことが起きたとき、その場で判断し、手で確かめられるのは、いまも人だけだからだ。ネジ一本が固い、部品の向きが思っていたのと違う。そんな小さなつまずきを、その場で読み替えてほどけるのは、いまのところ人の手だけだ。

だから宇宙飛行士は、体から窒素を抜き、水の中で何十時間もなぞり、命綱一本で真空へ出ていく。たった一つの部品を、確実に替えるために。

次にあなたが玄関のドアを何気なく開けるとき、少しだけ思い出してほしい。同じ「外に出る」でも、頭上400キロでは、数時間の下ごしらえと丸2日分の練習の先に、ようやくそのドアが開く。