トトは、綱番の役が、いやでいやでたまらなかった。

トトの村では、外の壁を直しに出るとき、かならず中でだれかが命綱を握る。外へ出る「直し手」は、かっこいい。綱を握る「綱番」は、子どもか年よりの役で、みんな半分ばかにして「おるすばん」と呼ぶ。もっとも、綱番がいちばん楽な役だと思うのは、まだ外に出たことのない者だけなのではないか。トトは十になって、そろそろ外へ出たかった。それだけだった。

「ずるいよ。おれだって、外の直しがしたいのにさ」

うすい殻ひとつ隔てたむこうは、息もできない、まっ暗な外だ。そこへ平気で出ていくのが、トトのじいちゃんだった。村のみんなは、岩じいと呼ぶ。五十年、村の壁を直してきて、あの闇を前にしても眉ひとつ動かさない。だから、岩みたいだというので、岩じいなのだろう。ちなみに、そう呼ばれるたび、岩じいはなんとも言えない顔をするのだが、だれも気に留めなかった。

その岩じいの綱を握るのは、五十年、スミ婆さんひとりと決まっていた。ほかのだれにも、握らせない。トトには、どうやら、ただの意地っぱりに見えた。

ところがその朝、外の水くみ機がこわれて、村じゅうの水が止まった。岩じいが出るしかない。けれど、スミ婆さんの手は、この冬でめっきり弱っていた。あの綱の重みには、もう耐えられそうにない。

岩じいは、長いことだまっていた。それから、ぼそりと言った。

「トト。おまえ、握れ」

トトは、とびあがった。ついに、と思った。——いや、握るほうか。ちょっとだけ、がっかりした。

殻の口がしまり、外へ出た岩じいの背が、闇のむこうへ遠ざかっていく。トトは、綱を両手でぎゅっと握った。外には音がない。だから外の人と中の人は、綱を引く回数で話す。一回は「上々」、二回は「入れてくれ」。それだけの、みじかい言葉だ。

綱は、思ったよりずっと重かった。この一本のむこうに、じいちゃんの体ぜんぶがぶらさがっている。手をはなせば、じいちゃんはあの闇をどこまでも流れていって、もう二度ともどらない。トトの手のひらに、じわりと汗がにじんだ。

そのときだ。綱をつたって、こまかい、こまかいふるえが、トトの手にとどいた。

はじめは、綱がすり切れかけているのかと思った。トトは、つい二回引きかけて、やめた。ちがう。すり切れる音じゃない。

——これは、じいちゃんの手だ。

岩じいの手が、外で、ふるえている。音のない外から、綱をつたって、まっすぐトトの手のひらへ伝わってくる。おくびょうな、こきざみな、止まらないふるえ。

トトは、綱を一回、強く引いてみた。上々か、と聞いたのだ。すぐに一回、返ってきた。上々、と。それでも、ふるえは止まらなかった。

トトは、はじめて分かった。岩じいは、こわいのだ。五十年、ずっとこわかったのだ。あの闇のなかで平気だったことなんて、一度もなかった。ただ、綱の端を握る手を信じていた。だから、外に出られた。岩じいのあの度胸は、ぜんぶ、綱のこっち側から借りたものだったのだ。

だから、スミ婆さんの手でなければ、だめだったのだ。

しばらくして、綱が二回、引かれた。トトは、ありったけの力で、じいちゃんをたぐりよせた。腕が焼けるようだった。殻の口から、岩じいがぬうっともどってくる。内側の空気を、大きく、大きく吸っている。

その手が、まだふるえていた。トトの目の前で、はっきりと。

岩じいは、五十年、自分の綱をかけてきた自分のフックへ手をのばした。けれど、かけなかった。かわりに、その綱を、トトの腰へくるりと回した。

「……こんどは、おまえが出ろ。おれが、握る」

ふるえる手で、結び目をぎゅっと締める。すみのほうで、スミ婆さんが、ふっと笑って、長いいきを吐いた。