船が着いた夜、トビが四十年ぶりに望んだのは、自分の寝床で眠ることだけだった。ところが故郷の空には、若い男の顔がいちばん高いところで青白く光っていて、それが自分だと気づくのに、しばらくかかった。

トビ星、と町の者は呼ぶらしい。遠い星まで旅に出た若者の光が、四十年もかかって、ようやく町の空に届いたのだ。旅立った晩のトビの、まだ肩のいかった、髪の黒い顔である。もっとも、光の顔ほどあてにならないものはない。そうつぶやいた者が港にいたが、それで得をした者ではなかっただろう。

家には、まだミネがいた。幼なじみのミネである。膝を悪くして、港の隅で番茶を売っていた。「ミネ、おれだ。トビだよ」と言うと、ミネはしばらく老いた男の顔をながめ、それからくすりともせずに西の空を指さした。「トビなら、あそこにいるよ」

港には、着き見の板というものがある。遠くから来る客の光の顔が、何十年も前の姿のまま並んでいる板だ。ミネはそのなかのいちばん立派な一枚を、毎晩ながめて暮らしてきたらしい。「あんな男前が、あんたのわけ、ないでしょう」

トビは何度も掛け合った。旅立ちの晩にミネと決めた合図まで持ち出した。港のはずれで手をふたつ打つ、あれが達者の知らせだと約束したのだ。ためしに老いた手をふたつ打ってみせると、ミネはなんだか困った顔をして、やっぱり空のほうを指さした。若いトビは、ちょうどそのとき、いちだんと明るくまたたいた。かなうわけがない。しわの寄った手より、四十年前の光のほうが、よほど達者に見えるのだから。

しかたなく、トビは町にとどまった。港の名簿には「見物客」と書かれた。空の若いトビ星は「在」、歩いて帰ってきた老いたトビは「見物客」である。この町は、光の顔で人を数えるのだった。

そのうちトビは、いい役をもらった。夜ごと港に立って、見物の客にトビ星を指さして聞かせる役である。「あれがトビ。この町いちばんの男前でしてね」。ちなみにトビ星は、町でいちばんの男前ということになっている。本人が目の前で語っていても、だれもそうは思わないのだが。

客はよろこんで小銭を置いていく。ある晩、子どもが袖を引いて聞いた。「おじさんは、トビに会ったことある?」

トビはひとつ、間を置いた。西の空では、四十年前の自分が、今夜もまぶしく笑っている。

「一度だけな」と、老いたトビは手のなかの小銭を握って言った。「大したやつじゃ、なかったよ」

番茶の湯気のむこうで、ミネがふっと吹き出した。若いトビ星は、それにはかまわず、今夜も西の空のいちばん高いところで光っていた。