棚からフリーズドライの味噌汁をひとつ取って、お湯を注ぐ。乾いた塊だった具が、湯気のなかでふわっともどる。このなんでもない朝ごはんの技術は、もとをたどるとアポロ計画の宇宙食研究にたどり着く。
同じことが、赤ちゃんの粉ミルクでも起きている。缶の成分表に小さく書かれた「DHA・ARA」という栄養も、出どころは宇宙開発だ。
宇宙は遠い。でも台所の棚は、思っているよりずっと宇宙とつながっている。
アポロの食卓から始まった「乾かす」技術
話は1960年代、人を月へ送るアポロ計画にさかのぼる。数日におよぶ飛行のあいだ、宇宙飛行士に何をどう食べさせるか。これが意外と難問だった。
食料は重いと打ち上げの負担になる。傷めば飛行士の体調に直結する。限られた空間で、軽く、長く持ち、ちゃんと栄養のある食事をどう用意するか。NASAはこの長期ミッションのために、宇宙食の研究をかなり突き詰めてやっている。そこで磨かれた技術のひとつが、フリーズドライ(凍結乾燥)だった。食品を凍らせてから水分を抜き、軽くて長持ちする形にする方法だ。
面白いのはここからだ。この技術を一般向けの商品にしたのが、アクション・プロダクツ社という会社だった。彼らが手がけたのはスナック類で、なかには「初めてのフリーズドライ・アイスクリーム」もあったという。
NASAの資料によれば、こうしたフリーズドライのスナックは博物館やNASAの施設で売られ、いくつもの国へ輸出され、売上は年に数百万ドルにのぼった。宇宙飛行士のための食べ物が、博物館の売店に並ぶおやつになった。宇宙食が地上に降りてくる、最初の一歩である。
なぜ栄養は98%も残るのか
ではなぜ、乾かしたのに食べ物として成立するのか。普通に天日干しにしたら、味も栄養も落ちそうなものだ。
カギは「凍らせてから抜く」という順番にある。NASAの資料によると、フリーズドライはまず食品を調理し、それを急速に凍らせる。そのうえで真空の装置に入れてゆっくり温める。すると凍った水分が、液体の水を飛ばさずにいきなり水蒸気になって抜けていく。
抜けるのは水だけだ。熱でぐつぐつ煮詰めるわけではないので、栄養やうまみの成分はその場に残る。おまけに、凍った水が抜けたあとにはその隙間がそのまま残る。だからスポンジのような穴だらけの構造になり、お湯がすっと染み込んでもどりやすい。乾かしても見た目の形がほとんど崩れないのも、このおかげだ。
数字がこれを裏づけている。NASAによれば、できあがったフリーズドライ食品は栄養の98%を保ったまま、重さは元の20%、つまり5分の1になる。白状すると、この「98%」を最初に見たときはさすがに盛りすぎだろうと疑った。でも仕組みを知ると、水だけ抜いているのだから筋は通っている。
そしてお湯を注げば、抜けていた水分がもどって、もとの料理に近い姿になる。朝の味噌汁で起きているのは、まさにこれだ。
「軽い・長持ち・栄養が残る」が地上で化ける
ここで少し立ち止まってほしい。宇宙飛行士にとってこの技術が価値を持った理由は、味そのものではなく「重さ」と「保存性」だった。
想像してみてほしい。もしあなたが数日分の食料を持って宇宙へ出るとして、持ち込める重さに厳しい上限があったら。同じ栄養を5分の1の重さで運べるなら、それは決定的な差になる。リュックひとつに、ざっと5倍の食事を詰められる計算だ。水を抜けば腐りにくくもなる。
この「軽くて、長く持って、栄養は落ちない」という組み合わせは、宇宙を離れた地上でもそのまま効いてくる。
たとえば登山やキャンプ。ザックの重さと戦う世界では、5分の1の重さは宇宙飛行士と同じくらいありがたい。頂上でお湯を沸かせば、乾いた塊が温かい一食にもどる。そして災害への備えだ。長く保存できて軽く、水やお湯さえあれば食べられる食品は、非常用の備蓄と相性がいい。棚の奥にしまい込んでも傷みにくく、いざというときかさばらない。宇宙の制約を解くために磨かれた性質が、地上の別の制約にぴたりとはまった格好だ。
宇宙食と聞くと特別な世界の話に聞こえる。でもその中身は、あなたの防災リュックやアウトドアの棚に、とっくに入り込んでいる。スーパーの乾物コーナーでカップに入った即席スープを手に取るとき、わたしたちは知らずに宇宙食の子孫を選んでいる。
粉ミルクに入った、宇宙生まれの栄養
ここまでは食べ物の「形」の話だった。もうひとつ、まったく別のルートがある。食べ物の「中身」、つまり栄養そのものが宇宙から降りてきた例だ。
NASAの資料は、惑星間飛行とベビーフードを結びつけるのは難しく思えるが、そのつながりは実在する、と書いている。市販の乳児用ミルクに入っている栄養強化成分のひとつが、NASAが資金を出した研究にさかのぼるというのだ。
その研究テーマは、長期の宇宙飛行で藻類(そうるい)をリサイクルの担い手として使えないか、というものだった。閉じた宇宙船のなかで、藻に空気や物質を循環させる役を任せられないか。そんな発想である。
ここから生まれたのが、藻由来の植物油のような成分「Formulaid(フォーミュラエイド)」だ。NASAの資料によると、これを開発・製造したのは米メリーランド州コロンビアのマーテック・バイオサイエンシズ社で、創業者や中心メンバーはNASAの計画に関わるなかで藻を扱う技術を身につけたという。
この成分の中身が、DHA(ドコサヘキサエン酸)とARA(アラキドン酸)という2つの脂肪酸だ。名前は難しいが、どちらも母乳には含まれるのに多くの粉ミルクには入っていなかった栄養で、脳や視覚の発達と関係があると多くの研究者が考えている、とNASAの資料は記している。
母乳に近づけるために足したい栄養を、藻からつくる。その藻を扱う技術は、宇宙での物質循環の研究で育った。食べ物を軽くする話かと思えば、今度は栄養の中身そのものだ。宇宙を目指した研究が、生まれたばかりの赤ちゃんの口もとまで届いている。缶の成分表の小さな文字に、そんな回り道が隠れている。
なぜ宇宙開発は、こうも地上に降りてくるのか
フリーズドライと粉ミルク。出どころは同じ宇宙食研究でも、降りてきたルートは正反対だった。片方は食べ物の形、もう片方は中身の栄養だ。
共通しているのは、どちらも「極端な条件」から生まれた点だと思う。宇宙では、重さ・保存・循環のどれもがギリギリまで追い込まれる。妥協が許されない環境だからこそ、普通なら思いつかない解き方が生まれる。
そうして見つかった解は、宇宙だけのものではなかった。軽くしたいのは登山者も同じだし、腐らせたくないのは備蓄も同じ。母乳に近づけたい栄養は、地球の赤ちゃんみんなの話だ。極限で磨かれた答えは、日常の困りごととどこかで必ず重なる。
こういう「宇宙開発から地上への技術のおすそ分け」を、NASAはスピンオフと呼んでいる。遠い宇宙の話が、気づかないうちに毎日の暮らしへ流れ込む経路だ。宇宙食はその分かりやすい一例にすぎない。
キッチンの棚は、宇宙とつながっている
もう一度、朝の台所に戻ろう。
お湯を注げばもどる味噌汁。缶の裏に小さく並ぶDHAの3文字。どちらも、月を目指した人たちが重さと保存と循環に頭を悩ませた末に残していったものだ。
宇宙は見上げる先にある、と思いがちだ。でも次にフリーズドライの封を切るとき、あるいは粉ミルクを溶かすとき、ちょっと思い出してほしい。その湯気の向こうに、アポロの食卓がつながっている。