鎌倉時代の1204年2月、京都の歌人・藤原定家は日記に3日分の不思議な記録を残した。「北天に赤き光が見ゆ」。当時の人々には、それが何なのかわからなかったはずだ。

800年後、その記録はある科学的発見の「確認」として使われることになった。

年輪に刻まれた宇宙の記録

沖縄科学技術大学院大学(OIST)の宮原ひろ子教授らのチームが2026年4月に発表した論文は、かなりインパクトのある内容だった。北日本に埋まっていたアスナロ(ヒバ科の針葉樹)の古木。その年輪を超精密に分析したところ、1200〜1201年ごろを示す輪のなかで、炭素14の濃度が急に跳ね上がっているのが見つかった。

炭素14というのは、宇宙線が大気に当たったときに生まれる放射性の炭素だ。植物はそれを光合成で取り込み、年輪に年ごとの記録として刻んでいく。太陽が特別大きなエネルギーを放出したとき、地球に降り注ぐ宇宙線の量が増えて、その年の炭素14が増える。つまり「太陽が暴れた年」は、木の年輪にそっと書き込まれている。

炭素14の急増グラフ

今回の発見は、「超精密炭素14測定技術」と呼ばれる手法を使ったもので、従来では見つけられなかった微細な変動まで検出できる。これによって、これまでの研究では見逃されていた「準極端」レベルの太陽嵐の痕跡が掘り起こせるようになった。

定家の日記と年輪の「ズレ」が教えてくれること

ここで少し面白い話をしたい。

年輪のスパイクは「1200〜1201年ごろ」を示しているが、定家が「赤き光」を記録したのは1204年だ。3〜4年のズレがある。これは矛盾なのかと思いたくなるが、そうではない。

低緯度でオーロラが見える現象は、太陽嵐の直後に起きるとは限らない。太陽活動が全体的に活発な時期には、1200年代初頭のように「複数回の大きな嵐が続く」ことがある。研究チームによれば、1190年から1220年頃にかけての約30年間、太陽は非常に活動的な状態にあったと推定されている。当時の太陽周期は現在の11年より短い7〜8年だったとも分析されており、太陽がいつもより急いでいたような状況だったらしい。

定家が目撃した「赤き光」は、1200〜1201年の巨大嵐が引き起こしたものではなく、その後も続いた活発な太陽活動の一場面だった可能性が高い。それでも、定家の記録は研究チームに「この時代を調べるべし」というヒントを与えた。

2つの証拠が重なった──年輪と古文書

「14倍」という数字の重さ

研究論文(Proceedings of the Japan Academy, Series B、2026年4月10日掲載)によれば、今回特定した1200〜1201年の太陽嵐は、現代における最も強力な太陽嵐とされる「1956年2月の太陽嵐」の約14倍の規模だった可能性があると推定されている。

14倍、と聞いてもなかなかピンとこない。1956年の嵐は当時、通信や電力に重大な障害を起こしたレベルのものだ。それの14倍となると、現代社会に当てはめると何が起きるか。

衛星は機能を失い、電力網は広域で停電し、GPS は狂い、航空機の通信も途絶える可能性がある。宇宙飛行士が宇宙ステーションにいれば、深刻な放射線被爆のリスクにさらされる。ただし研究チームは「準極端(sub-extreme)レベル」と分類している点に注意が必要で、これは極端な事象の10〜30%規模という位置づけだ。歴史上確認されている最大規模の太陽嵐(775年ごろのもの)よりはずっと小さい。それでも危険には変わりない。

太陽嵐の強さ比較

「滅多に起きない」は通用しない

この研究が重要な理由は、今起きている話じゃないから楽観できる、ではない。むしろ逆だ。

過去1万年の太陽活動データを集めることが、「現代の宇宙天気予報の精度向上に直結する」というのが研究チームの立場だ。中世の太陽嵐が特定されることで、「どれくらいの周期で、どれくらいの強さのものが来るか」という統計が少しずつ精密になっていく。

正直なところ、地球は太陽のすぐ近くに住んでいる。太陽から1億5千万キロメートルというのは、宇宙的スケールで言えばほぼ隣だ。太陽がくしゃみをすれば、地球には何かが届く。

今のところ私たちには、太陽嵐を防ぐ手段はない。できることは、来ると分かったときに衛星の姿勢を変えたり、電力網を保護したり、宇宙飛行士に避難を促したりすることくらいだ。そのためには「いつ来るか」の予測精度が命綱になる。

800年前の記録者たちへ

研究を読んでいて、ふと思ったことがある。

定家は「北天の赤き光」を3日間、日記に書き続けた。彼はそれが何なのか知らなかった。後世に宇宙科学の証拠として使われると、夢にも思わなかっただろう。中国の史書にも、ヨーロッパの年代記にも、「異常な低緯度でのオーロラ」を記録した人たちがいた。同様に、北日本のどこかで倒れ、土に埋もれたアスナロの木も、800年後に掘り出されてその年輪を読まれることになった。

誰も「科学のために記録しよう」と思っていなかったのに、その記録が800年後に実証の材料になった。

歴史記録が宇宙防衛を助ける

記録することの価値って、けっこうすごいと思う。記録した当人には意味がよくわからなくても、時間が経てば証拠になる。宇宙科学の世界では、過去の人類の観察・記録・保存が、現代の研究者の出発点になることが珍しくない。

これからの太陽嵐研究

研究チームは今後、さらに多くの地域の年輪・氷コア・珊瑚のデータを組み合わせ、過去1万年分の太陽活動の「カタログ」を作ろうとしている。「準極端」な太陽嵐がどれくらいの頻度で起きるかを、精度よく統計的に見積もるためだ。

一つ一つのデータ点は、古い木の切り株だったり、南極の氷の中に閉じ込められた泡だったり、熱帯の珊瑚の骨格だったりする。地味な素材ばかりだが、積み重なれば太陽の歴史が見えてくる。実際、年輪からの炭素14測定は今が一番面白い時期に入っている。

そのカタログが完成した先に、「次の太陽嵐が来る前に電力網を守る」という実用的な話がある。800年前の鎌倉の空と、未来の衛星が、年輪という細い橋でつながっているというのは、なかなかドラマチックな話ではないか。


参考: Miyahara et al., “Extremely Active Sun from 1190 to 1220 in the Medieval Period”, Proceedings of the Japan Academy, Series B, 2026年4月10日掲載。OIST(沖縄科学技術大学院大学)プレスリリース。