国際宇宙ステーション(ISS)という名前を聞いて、何を思い浮かべるだろうか。宇宙飛行士が無重力で食事をしている映像、地球を見下ろす窓、それとも「15か国が一緒に作った巨大な実験室」というイメージだろうか。

じつはこのISSが、2030年代にはもう存在しない。

正確には、引退させて大気圏に再突入させる計画が進んでいる。25年以上宇宙に浮かんでいたこの施設が海に沈む日は、そんなに遠くない。そして「その後」をどうするか、という話が今、宇宙業界で静かに、しかし着実に動き出している。

なぜISSはなくなるのか

ISSは1998年に最初のモジュールが打ち上げられ、2000年から宇宙飛行士が常駐するようになった。以来、15か国が協力して維持し、国際的な科学研究の拠点として機能してきた。

ただ、古い。設計寿命はとっくに超えていて、金属疲労やひびの報告が増えている。維持費は年間3,000億円を超えるといわれていて、NASAの予算の1割近くがこれに使われているほどだ。

「もう使えないから」ということではなく、「このままの形で続けるのは得策じゃない」という判断に近い。NASAとしては、ISSの維持コストを月や火星の探査に振り向けたい。そのためには、地球低軌道(ISS が飛んでいる高度400キロ前後)の拠点を誰か別の人に任せる必要がある。

その「別の人」が、民間企業だ。

民間が宇宙ステーションを建てる時代

ISSと次世代民間ステーションの比較

NASAは「商業低軌道開発(Commercial Low Earth Orbit Destinations、CLD)」というプログラムで、複数の民間企業に資金を提供して次世代ステーションの開発を促している。その主な候補がいくつか出そろってきた。

Vast(ヴァスト)のHaven-1は、最も具体的な計画の一つだ。SpaceXのDragonカプセルで宇宙飛行士を送り込む独立型のステーションで、打ち上げ目標は2025年とされていた(実際のスケジュールは変動している)。小さなモジュール1個から始めて、段階的に拡張する設計になっている。

Axiom Spaceは、すでにNASAとの提携で宇宙飛行士をISSに送り込む実績を持つ会社で、将来的にはISSに自社モジュールを接続し、ISS退役後に独立したステーションとして分離させる計画を持つ。宇宙旅行者を受け入れた経験もあって、ビジネスとしての実績という意味では一歩先を行く存在だ。

Blue OriginはBoeing、Sierra Spaceといった大手と組んで「Orbital Reef(オービタルリーフ)」という計画を進めている。「宇宙の経済特区」というコンセプトで、研究・製造・旅行すべてを一か所に集めようとしている。

複数の会社が競い合っているのがポイントで、NASAは「1社に丸投げ」ではなく、いくつかの計画に分散投資する戦略を取っている。

「宇宙を買う側」になるNASA

民間宇宙ステーション主要計画

この構図の変化は、けっこう大きい。

これまでNASAは、宇宙ステーションの「所有者」だった。ISSはアメリカが主導して設計し、建造し、運営してきた。宇宙飛行士を送るのもNASAの仕事だったし、何かトラブルがあれば解決するのもNASA自身だった。

これからのNASAは「顧客」になる。民間が建てたステーションを、政府機関が研究用途でお金を払って使う、という関係だ。航空会社に例えるなら、これまでは政府が飛行機を持って空港まで運営していたのが、民間の航空会社が飛ばした飛行機の座席を国が買う形に変わる、みたいなイメージに近い。

この方針はISS以前からじわじわ進んでいた。SpaceXが宇宙飛行士をISSに運ぶ事業(クルードラゴン)を引き受けたことで、NASAは「ロケットを運用する」仕事から解放された部分がある。

宇宙ステーション本体も同じ方向性で、運営を民間に委ねることで、NASAは「どこへ行くか」という探査の部分に集中できるようにしたい——というのが、この転換の本音だ。

宇宙旅行者が宇宙に「泊まれる」時代

民間ステーションになることで変わる大きな点のひとつが、「誰でも行ける(お金さえあれば)」という世界に近づくことだ。

ISSへの宇宙旅行は、過去にも民間人が行ったことはある。ただ、それは非常に例外的な話で、基本的には訓練を積んだ宇宙飛行士のための場所だった。

Axiom SpaceはすでにISSへのプライベート旅行を複数実施していて、そのチケット代は1人あたり数十億円とも言われる。さすがに「誰でも」とはいかないが、それでも研究者や各国の宇宙飛行士だけでなく、民間人が正式な形で宇宙に「泊まる」という実績が積みあがってきた。

民間ステーションが複数できれば、競争によってコストが下がる可能性はある。VastのHaven-1が想定しているビジネスモデルも、宇宙旅行・科学実験・素材開発など複数の収益源を組み合わせることで、1人あたりの旅行コストを将来的に下げていく構想を持っている。

「宇宙に泊まる」が特別なことではなくなるまで、あと何十年かかるかはわからない。でも、その方向に進んでいるのは確かだ。

無重力でしか作れないものがある

低軌道ビジネスの広がり

民間ステーションに期待されているのは、宇宙旅行だけではない。

宇宙の微小重力環境は、地上では作れない素材や製品を生み出す可能性がある。たとえばISSでは、地上では析出してしまう高純度のタンパク質結晶を宇宙で育てる実験が行われてきた。これは医薬品の開発に使える可能性がある研究だ。

また、光ファイバーや半導体の製造でも、重力がない方が不純物が混ざりにくく、高品質なものができる可能性が指摘されている。地上の工場では作れない素材を宇宙で作り、それを地球に持ち帰って使う——という「宇宙工場」の構想は、SF的に聞こえるかもしれないが、実際にいくつかの企業がすでに実証実験を進めている。

宇宙でしか作れないものが商品として成立すれば、民間ステーションは「科学者の施設」から「製造業の工場」に変わる。そうなれば、宇宙への渡航がもっと日常的になる理由も生まれてくる。

民営化の現実的な課題

面白い動きが進んでいる反面、楽観視できない部分もある。

民間企業が宇宙ステーションを運営するということは、収益を上げないといけないということだ。研究者が無料(または格安)で使えた ISSと違い、民間ステーションは採算が合わなければ閉鎖される。かつて火星には行けてもビジネスとしては成り立たなかった、という歴史のある宇宙旅行産業を見ると、「計画と現実の差」は常に警戒が必要だ。

また、複数の民間ステーションが競合する状況になると、国際的な安全基準や法的枠組みの整備が追いつかないという懸念もある。ISSは各国の宇宙機関が条約に基づいて運営してきたが、民間ステーションにどこまで同じルールが適用されるかは、まだはっきりしていない部分が多い。

さらに、NASAが「顧客」に徹すると、万が一民間ステーションが破綻した場合に宇宙での科学研究の場が突然失われるリスクもある。ISSが引退する前に次の拠点がちゃんと動いていないと、宇宙に「空白期間」が生まれてしまう。

宇宙が「当たり前の場所」になる日

ISSは冷戦後に生まれた国際協力の象徴でもあった。ロシア、アメリカ、日本、ヨーロッパが一緒に宇宙に施設を持つというこの構図は、地政学的な緊張があっても長年維持されてきた。

民間ステーションの時代になると、その「象徴性」は薄れるかもしれない。でも、宇宙がより多くの人にとって「利用できる場所」になるという意味では、もしかしたらISSより日常に近い存在になる可能性もある。

宇宙旅行が「億万長者の贅沢」から「普通の旅行の延長線上」に近づくのは、いつだろう。民間ステーションが軌道に乗るかどうかは、そのひとつの答えになるかもしれない。

ISSが宇宙に浮かんでいる今のうちに、一度夜空を見上げてみてほしい。肉眼でも見える、あの光点が「宇宙の拠点」だった時代は、あと数年で終わる。