2029年4月13日の金曜日、ひとつの岩が空を横切る。

直径375メートル。重さ約2000万トン。地表からわずか3万2000キロメートルの高さを通過するその岩は、静止衛星よりも近い場所を飛ぶことになる。しかも1万年に1度しか起きない規模の接近だ。

「アポフィス」という名前を聞いたことがある人は多いだろう。かつては「地球に衝突するかもしれない」と騒がれた小惑星だ。衝突リスクはほぼゼロとわかった今でも、この天体は科学者たちを興奮させている。理由は単純で、「地球の引力がリアルタイムにこの岩を変形させる瞬間を、人類が初めて間近で観察できる」からだ。

アポフィス2029年地球フライバイの概要図

アポフィスとはどんな岩なのか

アポフィス(正式名称:小惑星99942番)は2004年に発見された、いわゆる「地球近傍小惑星」だ。地球の公転軌道に近い場所を周回する小惑星のことで、数千個が知られている。

そのほとんどは「接近はするが衝突はしない」という安全な天体だが、アポフィスは当初、2029年と2036年に衝突の可能性があると計算された。その確率は最大で数千分の1という高さで、天文学の世界では珍しく「赤い警報」が出るほどだった。

その後の追加観測で衝突は完全に排除された。でも「衝突はしない。ただし3万2000キロメートルの超接近はする」という事実が残った。3万2000キロというのは、東京からニューヨークを往復しても1万5000キロ程度なので、宇宙のスケールで言えば本当にぎりぎりの距離だ。

アポフィスの形状は、ひとことで言うとゴツゴツした不整形の岩だ。縦横の長さが異なる歪んだ楕円体で、組成は主にケイ酸塩と鉄・ニッケルで構成されるS型小惑星(Sは「石質の」という意味)。太陽の周りを約0.9年かけて公転している。

地球の引力はこの岩を「つかんで引っ張る」

ここからが話の核心だ。地球から3万2000キロという距離は、天体の引力の観点から見ると非常に近い。

引力は距離の二乗に反比例する(ニュートンの万有引力の法則)。これが何を意味するかというと、アポフィスの「地球に近い側」と「地球から遠い側」では、受ける引力の強さが大きく違うということだ。

地球に近い側は強く引っ張られ、遠い側は弱く引っ張られる。この「引力の差」を潮汐力という。潮汐力は海の潮の満ち引きを生み出す力と同じもので、月が地球に作用することで発生する。アポフィスが2029年に地球に接近するとき、地球がアポフィスに潮汐力を与える立場になる。

潮汐力のしくみ

この力がどれくらい強いかというと、アポフィスの内部に「地震」や「地滑り」を引き起こすほどだと研究者たちは予測している。岩の形そのものが、地球の引力に引き伸ばされて変化する可能性もある。地球から見たら「ただ通り過ぎていく石」だが、アポフィス自身にとっては嵐の中を駆け抜けるような体験になるわけだ。

正直、「小惑星が地球のそばを通ると変形する」という話は理論としては以前からあった。ところが実際にそれをリアルタイムで観測できる機会は、少なくとも過去100年の観測史上なかった。だから研究者たちがこの接近を待ち望んでいる理由が少しわかる気がする。

通り過ぎたあとも元には戻らない

アポフィスへの影響は形だけではない。軌道そのものも変わる。

現在アポフィスは「アテン型」と呼ばれるグループに属している。主に地球軌道の内側を中心に公転するタイプで、公転周期は約0.9年だ。ところが2029年のフライバイのあと、アポフィスは「アポロ型」へ乗り換える。アポロ型は地球軌道をまたいで外側まで広がる軌道を持つグループで、公転周期が約1.2年になると予測されている。

宇宙の中で岩一個が別のカテゴリーに移るというのは、想像以上に意味深い変化だ。

アポフィスの軌道変化

ただし勘違いしてほしくないのは、これは「地球の引力がアポフィスを安全にする」という話ではないという点だ。軌道が変わっても衝突の可能性が出てくるわけではない。単純に「通り過ぎたあと、元の軌道には戻らない」というだけのことだ。1万年に1度の接近が終わったとき、アポフィスは別の小惑星として宇宙を漂い続けることになる。

Ramsesが「現場の立会人」になる

この歴史的な接近に、人類は傍観者でいるつもりはない。

ESA(欧州宇宙機関)とJAXA(日本宇宙航空研究開発機構)は2026年5月に協力協定を締結し、「Ramses(ラムセス)」という探査機をアポフィスへ送り込む計画を進めている。Rapid Apophis Mission for Space Safetyの頭文字をとった名前だ。打ち上げは2028年4月、アポフィスへの到着は最接近の約2ヶ月前となる2029年2月の予定。

Ramsesには2機のキューブサットが搭載されている。1機は地震計・重力計・磁力計を積んでフライバイ前に着陸を試みるランダー型、もう1機は低周波レーダーで内部構造を探るオービター型だ。潮汐力が作用する瞬間を、外からだけでなく内側からも記録しようとしている。

JAXAは熱赤外線カメラ「TIRI」を提供している。TIRIはかつてJAXAが小惑星りゅうぐうへ送り込んだ探査機「はやぶさ2」にも搭載された実績のある機器で、温度分布から表面の物理的性質を読み取れる。フライバイ前後の温度変化が、変形の証拠を示すかもしれない。

NASAも黙っていない。「OSIRIS-APEX」という探査機を最接近の直後にアポフィスへ送る。これは小惑星ベンヌからサンプルを持ち帰った「OSIRIS-REx」をそのまま転用した機体で、アポフィスの表面を直接掘削して、潮汐力が動かしたであろう地下の素材を分析する予定だ。

Ramsesとその仲間 観測体制

素手で見られる小惑星

地上でも見どころがある。

アポフィスは2029年4月13日夜、欧州・アフリカ・アジアの夜空でゆっくり動く光の点として確認できる。望遠鏡は不要で、双眼鏡があれば動きがわかる。最接近時の見かけの明るさは3等星前後と予測されていて、星の多くない空でなら肉眼でも普通に見える明るさだ。約20億人が窓から確認できると見積もられている。

「目で見た」という体験は、写真や動画にはない何かを残す。昔の人が彗星を見て「天変地異の前触れ」と思ったように、これを見た人の中には何かが変わる人がいるかもしれない。そういう接触の機会が、天文学を社会に根付かせていく面も確かにある。

もっとも、アポフィス自身は今も変わらず太陽を回り続けている。3年後の4月13日に向かって、少しずつ接近中だ。私たちがそれを意識し始めたのはここ最近のことだが、岩のほうはずっと前から決まったコースを走ってきた。

岩が変形することで何がわかるのか

この接近が持つ科学的な意義は、見た目の派手さとは別のところにある。

小惑星は太陽系が生まれた46億年前の素材をほぼそのまま保存している「化石」だ。地球や火星のように熱や圧力で溶けて再構成されていないため、太陽系初期の化学的な情報が残っている。その内部構造がどうなっているかを知ることは、惑星がどうやって生まれたかを理解する手がかりになる。

潮汐力で内部に地震が起きるかどうか、形が変わるかどうか、その程度はどれくらいか。これらは全部、アポフィスの「剛性(どれくらい硬いか)」や「内部の均一性(一枚岩か、それとも砂山のようにゆるい集合体か)」を反映している。いわば、壊れかけた建物に振動を与えてみてどこが崩れるかを観察するような実験だ。

惑星防衛の観点からも重要だ。将来もしも地球に向かってくる小惑星が見つかった場合、それが硬い一枚岩なのか、砂山状の砂礫の集合体なのかで、どう対処するかが全く変わってくる。DARTのように体当たりして軌道を変えるのか、それとも別の方法が必要なのか。アポフィスはその実物教材になる。

2029年は宇宙の「当たり年」になる

まとめると、こういうことだ。2029年4月13日、人類は1万年に1度の天体接近を目撃する。探査機は小惑星の傍らで変形の瞬間を記録し、地上では20億人が空に光る点を追う。岩は通り過ぎ、別の軌道に乗り換え、元には戻らない。

こういう出来事は、天文学の教科書に後から書かれるものではなく、リアルタイムで起きる。3年後の空に、今から少し期待しておいてもいい。

アポフィスは2026年現在、まだ肉眼では見えない。しかし確実に近づいている。潮汐力がこの岩を変える日まで、あと1100日あまりだ。


参考: ESA / JAXA Ramses ミッション公式情報、NASA OSIRIS-APEX ミッション情報