火星に水があることは、もう何年も前から知られていた。南北の極に「極冠」と呼ばれる氷の塊があるし、地下には大量の水氷が存在するという研究も積み重なっている。だから「火星に水がある」というニュースを聞いても、「またか」と思う人がいても仕方ない。

でも2025年夏に発表された研究は、ちょっと違う驚きを持っていた。水があることではなく、「その水がどれほど純粋か」という話だったから。

岩石まみれのはずだった氷河

問題の氷は、火星の「中緯度」エリアにある。北緯・南緯30〜50度のあたり、地球でいえばちょうど日本やニューヨークのような緯度帯だ。ここには「ローブ状デブリエプロン(LDA)」と呼ばれる地形が広がっている。山の斜面から流れ出したような、ゆっくり動く地形で、見た目は岩や砂が積み重なった丘のように見える。

長らく研究者たちは、これは岩石がほとんどで、氷は少しだけ混じっているものだと考えていた。名前に「デブリ(残骸・破片)」が入っているくらいだから、氷河というより岩のたまり場みたいなイメージだった。

それを覆したのが、NASAの火星探査機「マーズ・リコネッサンス・オービター(MRO)」に搭載されたレーダー「SHARAD」だ。

火星の中緯度氷河分布マップ

SHARADは地中に電波を向け、地下の構造を透視するような装置だ。電波が氷の中をどう通るかを分析することで、氷の純度を推定できる。研究チームはこのデータを使って、北半球と南半球の合わせて5箇所の氷河を調べた。

結果が出たとき、チームも驚いたらしい。どの場所でも、氷の純度は80%を超えていたのだ。しかも5箇所すべてで、ほぼ同じ値が出た。

なぜ純粋なのか、という問い

ちょっと待ってほしい。火星の氷が純粋なのはなぜか。

地球でも氷河はある。でも地球の氷河は、時間をかけて雪が積み重なり、少しずつ圧縮されてできる。溶けて再び凍る過程で、空気や鉱物が混じり込む。だから純度100%というわけにはいかない。

火星の場合は、条件がそもそも違う。研究者たちが注目したのは「5箇所すべてで純度が揃っていた」という点だ。火星の中緯度は場所によって地形も違うし、岩石の組成も多少異なる。にもかかわらず、氷の質がほぼ同じだということは、これらの氷河が「同じプロセスで同じ時期に形成された」可能性を示唆する。

つまり、火星は過去に「惑星規模の氷河期」を経験した、あるいは類似した条件が何度も繰り返された、という話になってくる。

火星の自転軸は、地球と違ってかなり不安定だ。月という大きな衛星がある地球は自転軸が安定しているが、火星は大きな衛星を持たないため、過去に傾きが大きく変動したと考えられている。傾きが変われば、太陽光の当たり方が変わり、気候が激変する。その変動サイクルの中で、氷が中緯度に集中した時期があったと考えると、今の分布がうまく説明できる。

正直、こういう話は想像するだけで少し怖い。「今の気候がずっと続く」という前提が、太陽系のどこでも成り立つわけではないのだと実感させられる。

氷河の断面構造と内部の純粋な氷

岩屑が「天然の断熱材」になっている

もう一つ、興味深いことがある。これらの氷河の表面には薄い岩屑の層がある。数メートル程度らしい。これが長い時間にわたって氷を守ってきた可能性が高い。

火星の大気は地球の1%以下の薄さで、昼夜の温度差は100度を超えることもある。そんな過酷な環境でも、岩屑の断熱効果のおかげで氷が昇華(固体から直接気体になること)せずに残ってきたのではないか、というわけだ。

厚い岩石の鎧を着て、何百万年も存在し続けている。そういうふうに想像すると、何だか頑固で愛らしい気もしてくる。

ちなみに、その薄い岩屑層こそが、昔の研究者たちを「岩石が主体の地形だろう」と判断させた理由でもある。表面しか見えなければ、岩だらけに見える。SHARADが地中まで透視したことで、初めてその中身がわかった。

「現地調達」という夢に近づく

では、この発見が何の役に立つのか。

火星に人間が住む話をするとき、一番の問題は「何を持っていくか」だ。水も空気も食料も、宇宙船の容積と重量には限界がある。地球から持ち込めば持ち込むほどコストは跳ね上がる。だから「現地で調達できるものを増やす」のが、有人火星探査の核心的な課題の一つになっている。

水はその中でも最重要だ。飲料水としてだけでなく、電気分解すれば酸素と水素に分解できる。酸素は呼吸に使える。水素はロケット燃料として使える可能性がある。つまり、水があれば空気と燃料の問題まで一気に解決に近づく。

氷河の氷が水・酸素・燃料になるプロセス

そこで問題になるのが「その水がどれだけ純粋か」だ。岩石や鉱物が大量に混じっていれば、それを取り除くための設備と電力が要る。純粋な氷なら、溶かして簡単な処理をするだけで使えるレベルに近づく。

中緯度の氷河が80%以上純粋だという事実は、そういう意味でかなり嬉しいニュースだ。さらに、薄い岩屑の下にあるということは、「掘ればすぐ氷に当たる」という状況でもある。数メートル掘るだけでよいなら、重い掘削機械を大量に持っていく必要もない。

もちろん、「発見しました」と「実際に使えます」の間には、まだ巨大な距離がある。採掘技術、現場への輸送、処理設備、安全性の確認。課題を並べれば枚挙にいとまがない。でも、「使える素材がある」と「あるかどうかもわからない」では、スタートラインが全然違う。

5箇所という数が示すもの

この研究で調査したのは5箇所だが、火星の中緯度にはこのような地形が無数にある。5箇所で純度が揃っていたということは、他の多くの場所でも同じ傾向がある可能性が高い。

MROのSHARADは今も動いていて、データを送り続けている。将来の探査機はより高精度のレーダーを積んでいく可能性があるし、ドローンを使って地表近くから地下を透視するという研究も進んでいる。氷河の境界がどこにあるか、どこが最も掘りやすいか、という地図がじわじわと精密になっていくはずだ。

人が火星に立つのは、まだ10年以上先の話だと思う。でもその日が来たとき、「氷河の下に水があった」という2025年の発見が、基地の設計を根本から変えた研究として振り返られるかもしれない。

火星の氷が語る、もうひとつの顔

最後にもう一つだけ。

この氷の純度の均一さが示すのは、火星が昔から死んだ星だったわけではないということだ。惑星規模の氷河期があり、自転軸が大きく揺れ、中緯度に氷が積もった時代があった。今は薄い岩屑に隠れているが、その氷は「火星が経験した気候変動の記録」でもある。

氷を溶かして飲む話ばかりしてきたが、この氷にはもうひとつの顔がある。太古の火星の大気や気候の記録が、その中に閉じ込められている可能性がある。地球で氷床コアを掘って過去の気候を調べるように、火星の氷河を掘ることで火星の歴史を読む、という研究が将来できるかもしれない。

水として飲む前に、まずは読み解きたいという気持ちもわかる。科学者というのは、そういう人たちだから。

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