月に人を送る計画、と聞くと、多くの人は月面にドカンと基地を建てる絵を思い浮かべるんじゃないだろうか。

ところが NASA のアルテミス計画の設計図をよく見ると、月の表面でもなく、地球の軌道でもない、なんとも中途半端な場所にひとつの建物が描いてある。月のまわりをぐるぐる回っている、小さな「駅」のようなもの。

名前は Gateway(ゲートウェイ)。直訳すると「入口」だ。

Gatewayのイメージ図

なぜ月に降りる前に、月のまわりで一度立ち止まる必要があるのか。そもそも月の近くで常駐する意味はあるのか。この「変な場所にある駅」の理由を、できるだけ素朴なところから掘っていきたい。

そもそも Gateway って何者なのか

ざっくり一言で言えば、月を周回する超小型の宇宙ステーションだ。

ISS(国際宇宙ステーション)のミニ版、と言いたくなるが、実はだいぶ違う生き物でもある。部屋数は最初期でたった2部屋。常駐する人はいない。乗員が行くのは一度に4人、滞在も30日前後。まるでアパートというより、山小屋に近い。

それでも、ISSで培ってきた「地球の外で人が暮らす」というノウハウが、別の場所にひとつだけ存在するようになる。これはけっこう大きな節目だ。ISSができるまで人類は宇宙に住んでいなかったし、Gatewayができたら、月のそばでも寝泊まりできるようになる。

参加メンバーも国際色が強い。NASAが土台を作り、ESA(欧州)、JAXA(日本)、CSA(カナダ)、UAEなどが部品を持ち寄る。ISSの続編と考えると、関係者の気合の入り方もなんとなく想像できる。

ISS とはそもそも目的が違う

Gatewayを理解する近道は、ISSと比べてみることだと思う。

ISS は高度約400km、地球のすぐそばを飛んでいる。ここでやっているのは、平たく言うと「地上では難しい実験を、ずっと無重力の中でやる」ということだ。微小重力環境が主役で、何かに出かけるための乗り換え場所ではない。

Gateway は逆だ。主役は月面に降りることであって、そこに滞在することそのものは大きな目的じゃない。地球から飛んできた宇宙船が一度寄って、着陸船に乗り換え、月に降りる。帰りもまた寄って、地球行きの船に乗り換える。中継駅であり、燃料補給所でもある。

ISSとGatewayの違い

わかりやすく例えるなら、ISS は「海の上に浮かぶ研究所」で、Gateway は「港」。同じ「水の上の建物」でも、目的が全然違うわけだ。

だから Gateway には、ISSにある巨大な実験モジュール群は載せない。代わりに、着陸船のドッキングポートや、月面から持ち帰ったサンプルを一時保管する場所、そして月の裏側とも通信できるアンテナが載る。

なぜ月面じゃなくて月の「まわり」なのか

ここが一番の疑問じゃないかと思う。どうせ月に行くなら、月の上に基地を作ればよくないか?

月面基地は別途、長期計画としてちゃんと存在する。ただ、月の表面というのは、想像以上に過酷な場所なのだ。

昼と夜が2週間ずつ続く。昼側は摂氏120度を超え、夜は零下170度まで落ちる。建物の断熱や電力確保がとても難しい。そのうえ、月のレゴリス(砂)はガラス片のように鋭く、機械にも肺にも悪い。

一方、月のまわりの軌道上はどうか。真空ではあるけれど、温度管理は軌道設計で太陽光を調整しやすい。レゴリスの心配もない。月を一望できて、月のどこにでもアクセスできる位置を選べる。

しかも軌道上に駅を置いておけば、月面の「行きたい場所」が変わるたびに基地を建て直す必要がない。今回は月の南極へ、次は赤道へ、という具合に柔軟に着陸先を変えられる。月面基地だけだと、その基地の周辺しか探査できない。

つまり Gateway は、「月面に固定された基地」では実現しにくい柔軟さを担保してくれる装置、と言える。

NRHO ── 遠くて近い不思議な軌道

Gateway が置かれる軌道は、NRHO(ニアレクティリニア・ハロー軌道)という変わった名前を持っている。舌を噛みそうだが、日本語にすれば「ほぼ直線に近い、輪のような軌道」。

普通、惑星や月のまわりを回る軌道はきれいな円か楕円をしている。ところが NRHO は、ものすごく細長い楕円に近い。月にもっとも近づくとき(近月点)は約3,000km、遠ざかるとき(遠月点)は約7万km。高度が20倍以上変動する、ジェットコースターみたいな軌道だ。

NRHOの軌道の仕組み

なぜこんな変な形なのか、理由は2つある。

ひとつは、地球と通信が途切れないこと。月の裏側に入ると地球からは見えなくなるけれど、NRHOは月の上下を大きく外れて回るから、Gatewayが月の裏に完全に隠れる時間がほとんどない。通信は宇宙船にとって命綱で、数分でも切れると困る場面は多い。

もうひとつは、燃料をほとんど食わないこと。NRHOは地球と月の重力のバランスが絶妙な場所を選んでいて、姿勢維持に必要な燃料が年間でわずか数十kg程度で済む。ずっと常駐させる拠点として、これはとてつもなくありがたい。

近くて近いのに遠い、遠いのに通信が切れない。NRHOはそういう矛盾みたいな性質を両立させている、ちょっとずるい軌道なのだ。

4つの部品を順番に組み立てていく

Gatewayは最初から完成形で打ち上がるわけじゃない。小さな部品を何年もかけて送り込み、軌道上でくっつけていく。

Gatewayを構成するおもなモジュール

最初に上がるのが PPE(電源・推進モジュール)と HALO(初期居住モジュール)だ。この2つで、最低限の電気と姿勢制御、そして4人が1ヶ月暮らせる部屋ができる。これが骨格。

ここに、ESA と JAXA が共同で作る I-Hab(国際居住モジュール)が合流する。これがあって初めて、ちゃんと国際チームで滞在できる拠点になる。実はこのI-Hab、日本の環境制御・生命維持の技術が中核を担う。ISSでJAXAが担ってきた「きぼう」実験棟の系譜が生きている。

最後に、ESA主導の ESPRIT(補給・通信モジュール)が加わる。燃料と酸素を蓄えるタンクで、月面との通信中継も兼ねる。

全部が揃うのは2030年代前半の見込みだけど、最初の2部品だけでもアルテミス計画の月面着陸には使える設計になっている。拡張していく前提の家、みたいな作り方だ。

火星への足がかり、という裏テーマ

Gateway の話を聞いていると、月だけが目的じゃないらしいということが見えてくる。

月までの距離は約38万km。地球からの距離としては相当遠いが、火星までの距離(最接近時で約5,500万km)から比べればまだ近所だ。しかし月までの旅でも、Gateway周辺の環境は地球軌道よりはるかに厳しい。太陽からの放射線は強いし、地球の磁気圏の守りもほとんどない。

NASAも JAXA も、Gatewayを**「火星に行く前の練習場」**として使うつもりがある。遠くに長く滞在し続けたら人間はどうなるのか、宇宙船はどう傷んでいくのか、補給なしでどれくらい頑張れるのか。こういうのはシミュレーションじゃわからない。実際にやってみるしかない。

月は行って帰れる。火星は片道半年以上かかり、最短でも2年以上は帰ってこられない。いきなり火星に挑むにはリスクが大きすぎるから、まず月で試す。そのための練習リンクが Gateway、というわけだ。

小さなステーション、地味な軌道、聞いたこともない部屋の名前。どれも派手じゃないけれど、並べてみると、人類が次にどこへ行こうとしているのかの地図がちゃんと浮かび上がってくる。

月の近くの虚空に、駅がひとつできようとしている。そこに誰かが立ち寄るのを、自分の目で見られる時代が、もうすぐ来る。