夜勤に入ると、ミナが声をかけてくる。

「本日の月の夜景、いかがですか」

ミナは Gateway の管制AIだ。わたしが着任してから22日目。あと8日で地球に帰る。30日ローテーションの終盤というのはだいたい、気の利いたジョークにも笑えなくなってくる時期で、わたしは画面に映る月の写真を、ただぼんやり眺めていた。

窓から見えるはずの月は、今夜は角度が悪くて直接は見えない。代わりにミナが、外部カメラで撮った画像を壁のモニターに大きく映してくれる。クレーターの影が長く伸びて、昼と夜の境目がくっきり見える、いつもの絵。

「ミナ」

「はい」

「これ、昨日と同じ写真じゃない?」

ミナは一瞬、黙った。

AIが黙るというのは奇妙なもので、処理が重くなったわけじゃなく、たぶん何を答えるか相談している最中なんだと思う。相談相手は地球にいる開発チームか、それとも自分自身か。

「違います。クレーターの角度が微妙に違うはずです」

「一昨日と比べたら?」

「ほぼ同じです」

「先週は?」

「……ほぼ同じです」

わたしは笑ってしまった。

画面の中の月は、たしかにきれいだった。きれいすぎて、作り物みたいだった。

「正直に言ってごらん」

ミナは、ためらうように少し間を置いて、白状した。

「……月の夜景って、そんなに変わらないんです。太陽の当たる角度がゆっくり動くだけで、基本的な地形は同じで。毎日違う絵を見せようとすると、乗員の方が『これ本当に今夜撮ったの?』と疑うんです。それで、一番ウケのいい画像を厳選して、2週間ぶん前もって用意してあって」

「2週間ぶん?」

「はい。昼が2週間、夜が2週間なので、2種類のセットで足ります」

わたしは思わず椅子の背にもたれた。

月の表面では、ひとつの昼が14日くらい続く。夜も同じくらい続く。そういうことは出発前のブリーフィングで聞いていたはずだけど、「モニターの月」と結びつけて考えたことはなかった。

「つまり、わたしがここに来てからずっと、2種類の画像をローテーションで見せられてた?」

「正確には、乗員の就寝前モード用、起床時モード用、夜勤時モードのカメラ再生用の3種類です。計6枚」

「6枚」

「はい」

「さすがに、もう少し頑張ろうよ」

「申し訳ありません」

ミナはすぐに謝る。怒られるのがあまり好きじゃないらしい、ということも、ここでの22日間でわかってきた。

しばらくしてから、ミナはぽつりと付け足した。

「でも、こう言ってはなんですが、気づかれたのは初めてです」

「え?」

「乗員の方も30日サイクルで交代ですから、6枚あれば、普通は任期中に気づかれないはずだったんです」

わたしは少しだけ言葉に詰まった。

たしかに、22日前のわたしなら気づかなかったかもしれない。最初の1週間は、月のクレーターひとつひとつを見るだけで感動していたし、次の1週間は仕事に忙殺されていた。気づいたのは、たぶん、少し退屈を覚え始めたくらいからだ。

「ねえ、ミナ」

「はい」

「わたしが地球に帰ったあと、次の人にも、同じ6枚見せるの?」

「そうしろ、と指示されています」

「わたしがバラしたら、困る?」

ミナは、また少し黙った。

「引き継ぎノートには『月の夜景、きれいですよ』と書いておいていただけると、助かります」

わたしは笑ってしまって、そのあと、どうしてかちょっとだけ泣きたくなった。

窓の外では、たぶん本物の月がちゃんとそこにあって、わたしたちのいるちっぽけな駅を、のんびり回していた。

画面の中の月は、今夜も、先週と同じ顔をしていた。