「ねえ、地球の住所ってどこまで書くの」
夕飯の支度をしていたら、息子の康介がリビングから聞こえる声で言った。小学3年生にしては妙に真剣な声だったので、母の美代子はなべをそのままにしてのぞきに行った。
「宿題?」
「住所を書きなさいって。でも住所って、日本だけ?地球も入れていい?」
美代子はつい、本棚に目が行った。5年前に図書館から借りたまま返し忘れた宇宙図鑑が、なんとなく背表紙を主張していた。
「入れていいんじゃない。地球、太陽系、銀河系って書けば。だいたいこのへんって感じで」
そう言ってから、なべに戻った。
10分後、康介がまたのれん越しに声をかけてきた。
「銀河系の次は?」
「……局所銀河群」
「そのあとは?」
「おとめ座超銀河団」
「さらに?」
「ラニアケア超銀河団」
美代子はへらを持ったまま止まった。宇宙図鑑は5年前にざっと読んだだけで、この先の記憶が正直あやふやだった。
「そのへんで一回やめなさい。先生もそこまで読まないから」
「でも位置は合ってるの?」
「合ってる合ってる。早くご飯食べよ」
もっとも、「だいたいこのへん」で宿題が通るかどうかは、夕飯を作りながら考えることではなかった。
翌日の夕方、担任の田中先生から電話がかかってきた。
「えっと、康介くんの住所欄なんですが」
「はい……」
「お手紙サイズになってまして。便箋に書き直して提出していただいたようで、こちらも驚きまして」
「あ、すみません。私がうっかり——」
「いえ、内容はとても正確でした。ただ、次回からはここまでで結構ですので」
ちなみに田中先生は、この電話をかける前に宇宙図鑑を開いたことがなかった。
「あ、座標は合ってましたよ」と田中先生は言い足して、電話を切った。