工藤が長年この仕事をやってきて、クレームで困ったことがない。
というのは嘘で、しょっちゅう困っている。ただ、困り方には慣れていた。「窓を拭いたら外のほうが汚くなった」とか「床が滑りすぎてお年寄りが転んだ」とか、だいたいは想定の範囲内だ。
だから、南極から電話がかかってきたとき、工藤はそれほど身構えなかった。
「あの、昨日の清掃なんですが」と若い声が言った。「床の……埃って、どうしましたか」
「はい。完全に除去しました」
工藤はてきぱきと答えた。報告書にも書いてある。隅から隅まで、床面のごみ・塵・異物を99.8パーセント除去。これ以上の仕事はなかった。
「……全部、ですか」
「はい。基本コースでしたが、サービスで壁際の積もりも取りました」
電話の向こうで、妙な間があった。
「それ……、試料なんです」
「試料?」
「宇宙から落ちてくる粒子がですね、あの床に8万年分くらい積もってまして。それを採取するために、半年かけてセッティングした場所で。きのう清掃を入れるとは、聞いていなくて……」
どうやら、連絡の行き違いがあったらしかった。もっとも、工藤のせいでないことは明白で、連絡を入れなかった管理部門の話だろうとは思った。でも、それは今どうにもならない話だ。
「……8万年分」と工藤は繰り返した。
「ええ。宇宙空間を漂ってきた、なんといいますか、すごく遠くで起きた爆発のかすなんですが。南極の基地はほとんど空気も動かないので、あそこは最高の採取場所で」
「回収は」
「できません。ゴミ袋に入ってますよね」
「はい、回収済みです」
「……専用の処分場に持っていかれましたか」
「はい、今日の午前中に」
長い沈黙が続いた。工藤は受話器を耳に当てたまま、机の上の見積書を見た。
「……再訪問の費用、お見積もりしましょうか」
また間があった。それから、泣きそうな声が言った。
「たぶん、8万年くらい待てば、また積もります」
工藤は「左様でございます」と言い、受話器を置いた。
見積書の備考欄に、なんとなく「再訪問 82,000年後(予定)」と書いてから、それを二重線で消した。