2025年3月、ESAとJAXAの担当者がつくばで一枚の紙に署名した。「月と火星の探査でさらに協力を深める」という趣旨の共同声明だ。似たような声明は毎年どこかで出るので、ニュースとしてはあまり目立たなかった。

でも、少し立ち止まって考えてみてほしい。なぜ日本とヨーロッパの宇宙機関は、わざわざ一緒に月や火星を目指すのだろう。「仲良く協力したほうがいいでしょ」という話だけでは、何十億ドルもかかるプロジェクトに踏み込む理由にはならない。

裏には、もっとシンプルで身も蓋もない理由がある。

一国ではどうにもならない、という現実

各国が持ち寄る技術の補完関係(ISSの例)

ISS(国際宇宙ステーション)は、15か国が総工費約1.5兆円を分担して建設・運用している。なぜそんな面倒なことをするのか。答えは単純で、一国でやれる規模を超えているからだ。

アメリカでさえ、予算の制約と技術のギャップを埋めるために各国の協力を必要とした。日本の「きぼう」実験棟、ESAの「コロンバス」実験棟、カナダが提供したロボットアーム「カナダアーム2」——それぞれが「得意なもの」を持ち寄った形だ。

月や火星の探査になると、この構図がさらに強くなる。

アルテミス計画全体で見込まれるコストは、向こう10年で数十兆円規模という試算もある。米国一国でそれを賄うのは政治的に難しい。議会が予算を承認するためには、同盟国の協力と支持が必要だし、「これは米国だけの利益ではない」という文脈が要る。

逆に言うと、日本やESAにとっても、単独では手が届かない月面有人探査に「乗れる」チケットになる。費用を出すかわりに、有人飛行の機会や科学データを得る。フェアな取引だ。

ちなみにISSの建設費を参加国で割ると、日本の負担は全体の約12%。それでも「きぼう」実験棟という日本独自の宇宙実験空間を手に入れた。自前で宇宙ステーションをゼロから作るよりはるかに安上がりだ。月面探査でも同じ構図が繰り返される。

技術の「得意・不得意」が国際分担を動かす

どの国がどの役割を担うかは、基本的に「何が得意か」で決まる。

NASAはロケットと宇宙船。スペースXのスターシップを月着陸船として使う計画もその流れだ。JAXAは移動技術に強い。トヨタと共同開発中の有人与圧ローバーは、宇宙服なしで2人の宇宙飛行士が1か月過ごせる設計になっている。月面を何百キロも走り回れる乗り物を自前で用意できる国は、今のところ日本だけだ。

ESAは通信・測位インフラに力を入れている。「LunaNET」という月面版GPS相当のシステムを整備しようとしており、JAXAのミッションにその受信機を乗せてもらう計画がある。インフラを誰かが先に整えれば、後続のミッションが全員その恩恵を受ける。コストを分担する合理性がここにある。

カナダはロボットアーム専業といっても過言でない。カナダアーム2はISSで28年以上稼働し続けており、次世代の「カナダアーム3」はGatewayに搭載される予定だ。この貢献と引き換えに、カナダは月面探査の有人飛行枠を2回確保している。

「お互いが持っていないものを持ち寄る」というのが国際協力の核心で、そこに理念は関係ない。

アルテミス計画に48か国が集まった理由

アルテミス計画での各国の分担

2020年に始まった「アルテミス合意」には、当初は8か国が署名した。それが2024年末時点で48か国まで膨らんでいる。

なぜこんなに増えたのか。

一つは、宇宙が「旗を立てた者勝ち」になりつつあるという認識が広まったからだ。月の南極付近には水氷が眠っているとされており、将来の燃料源や飲料水として注目されている。「先に行って実績を作った側が、ルール作りに関与できる」という計算が働いている。

もう一つは、アメリカ側の戦略的な意図だ。アルテミス合意は、軍事とは別のルートで同盟国を束ねる外交ツールとしても機能している。中国とロシアが独自の月探査計画を進める中、「宇宙でも民主主義国が連携する」という図を作りたい動機がNASA/国務省の背景にある。

参加国から見れば、署名することで「宇宙開発の先進国クラブ」に名を連ねる意味もある。技術や資金が小さくても、合意に入ることで将来の恩恵にあずかれる可能性が生まれる。

理念と打算が混ざり合って、48か国が集まった、という話だ。

ESAとJAXAが月から火星へと視野を広げた

ESAとJAXAの協力内容

2025年3月の声明の面白いところは、月だけでなく火星まで射程に入れた点だ。

月ではESAのArgonautランダーとJAXAのローバーを組み合わせ、技術と通信を互いに共有する。探査機にお互いのペイロードを乗せ合う取り決めも含まれており、「自分のミッションに相手の機材を乗せる」だけで相手国の費用をかなり節約できる。

火星については、2030年代に両機関が小型着陸ミッションを共同で行う可能性を検討している。さらに踏み込んで、火星の衛星「デイモス」からサンプルを持ち帰る計画もぼんやりと描かれている。JAXAのMMX(火星衛星探査計画)はフォボスのサンプルを対象としているが、将来のデイモス探査ではESAとの連携が視野に入る。

もう一つ注目すべきは「電気推進技術での協力」という記述だ。深宇宙では、化学燃料より電気推進(イオンエンジン系)が効率的だ。JAXAははやぶさシリーズでこの技術を磨いてきており、ESAもその分野に投資している。どちらかが単独で開発するより、成果を共有したほうが早く進む。

「一緒にやる」ことにはコストもある

公平を期すために、国際協力のデメリットも触れておく。

意思決定が遅い。15か国が関与するISSで何かを決めようとすると、全機関の合意が必要で時間がかかる。技術仕様のすり合わせも膨大だ。JAXAとESAが同じ「月面測位システム」を使うためには、双方のソフトウェアとハードウェアが互換性を持たなければならない。それぞれが自分の都合で設計したものを後から合わせるのは、想像以上に手間がかかる。

情報管理の難しさもある。宇宙技術の一部は軍事技術と重なる部分があり、「どこまで共有するか」の線引きが常に問題になる。アメリカのITAR(国際武器取引規則)は、特定の技術を同盟国にすら渡すのを制限する。JAXAのエンジニアがNASAの施設で作業するときに、開けてはいけないドアがあるという話は珍しくない。

それでも、やはり「一緒にやる」ほうが合理的だ。月面や火星の探査は、人類がこれまでやってきた中で最もコストのかかる長期プロジェクトの一つだ。一国でそれを背負い込める時代ではない。

国際協力が「当たり前」になった宇宙

ISSが軌道に上がり始めた1998年当時、日本とアメリカとロシアとヨーロッパが同じ宇宙ステーションを一緒に建てるなど、まだ「奇跡的なこと」に見えていた。冷戦が終わってわずか10年だ。

今では、宇宙探査が国際協力で行われることは普通になっている。JAXAとESAが協定を結ぶのも、NASAがアルテミスに同盟国を巻き込むのも、なかば当然のことになった。むしろ「単独でやる」と宣言するほうが目立つ時代だ。中国とロシアが独自の月面基地計画を進めているのが話題になるのも、国際協力が標準になった裏返しだろう。

宇宙が大きすぎるから、一緒にやるしかない。理念が美しいからではなく、現実的に見てそれ以外の選択肢がないから——というのが正直なところだ。

2025年3月につくばで署名された一枚の紙は、そういう現実の産物だった。