国際宇宙協力委員会の第47回会合は、予定より二時間遅れて始まった。

「まず確認したいのは」と議長のローレンス(スウェーデン代表)が言い、目の前の分厚い書類をめくった。「今回の月面基地建設についての基本合意は、人類全体の利益のため、平和的かつ持続可能な形で宇宙開発を推進するという崇高な理念に基づくものです」

「同意します」と日本代表の河内が言った。

「もちろんです」とESA代表のシュミットが言った。

「まったく」とNASA代表のジョンソンが言った。

全員がうなずいた。崇高な理念に異議を唱える者などいなかった。


問題が起きたのは、その五分後だった。

「では附属書C、区画割り当て案を見ていただきます」とローレンスが言ったとたん、室内の空気が変わった。

スクリーンに月の南極付近の地図が映し出された。色分けされた区画が碁盤の目のように並んでいる。左上の赤い区画にはNASAの旗が、その隣の青い区画にはJAXAのロゴが、さらに右にESAの星の紋章が仮置きされていた。

「待ってください」とジョンソンが言った。「なぜ我々がA-7じゃなくてB-2なんですか。ここ、日当たりが全然違いますよ」

「A-7は我々が交渉初期から希望していた区画です」と河内が言った。落ち着いた声だったが、書類を持つ手の力が少し強くなった。

「えっと」とシュミットが口を挟んだ。「そもそもA-7に水があると判明したのは、うちの衛星データが根拠ですよね。だとすれば探索優先権という観点から——」

「探索優先権というのはどの条文に基づく話ですか」と河内が言った。

シュミットはA4の書類を四枚めくった。見つからなかった。もう三枚めくった。

「……条文化はこれからです」


議論は二時間続いた。

日照条件、地下の水氷量、将来の電力設備の置き場所、通信アンテナの仰角、その全部が議題になった。崇高な理念はどこかに置いてきたまま、全員が真剣にA-7の権利を主張し続けた。

休憩のあと、ローレンスが提案した。

「妥協案として、A-7はNASAとJAXAとESAで三分の一ずつ共同管理とし、運用委員会を設置して年次で調整するというのはどうでしょう。それならば三機関が協力して基地を建設する合理的な根拠が生まれます」

全員が書類を見直した。河内は電卓を叩いた。ジョンソンは地図の縮尺を確認した。シュミットは何かメモを取った。

しばらくして、三人ともうなずいた。

「協力の精神で合意します」とジョンソンが言った。

「人類の未来のために」と河内が言った。

「持続可能な宇宙開発のため」とシュミットが言った。

ローレンスは合意書の表題欄を確認してから、ペンを取った。

「月面南極域における国際協力の枠組みに関する基本合意書」

署名を終えて、全員がよかったよかったとうなずき合った。廊下に出たところで、河内はそっとスマートフォンを見た。上司から着信が一件入っていた。

「A-7、取れたか?」