重力波を捉える装置は、2026年までに390回も宇宙の揺れを記録した。ブラックホール同士の衝突、中性子星の合体──次々と「聞こえて」きた。
なのに、研究者がずっと探しているのに一度も網にかからないブラックホールが、1種類だけある。
星が死んでできたのではなく、宇宙が生まれた直後にできたかもしれないブラックホールだ。
星の死では作れないブラックホールがある
ブラックホールと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、重い星が一生の最後に自分の重みで潰れてできる、あの天体だろう。
太陽の何十倍もある星が燃え尽き、中心が支えを失って一点に崩れ落ちる。これが「星のブラックホール」だ。
ところが理論物理学では、まったく別の作られ方をするブラックホールが半世紀以上前から考えられてきた。星を経由せず、宇宙が生まれたその一瞬に直接できたとされるものだ。これを原始ブラックホール(primordial black hole、初期宇宙起源のブラックホール)と呼ぶ。
星の死を待つ必要がない。
つまり、星がまだ1個もなかった時代のブラックホールということになる。妙な話だが、光る星より先にブラックホールだけが宇宙にあった、という話なのだ。
でも、星がないのにどうやってブラックホールなんて作るのか。
宇宙が始まって1秒たらずの出来事
宇宙が誕生した直後、空間はとてつもなく高温で高密度だった。その密度は、場所によってわずかにムラがあったと考えられている。
ほんの少し濃い部分は、周りより強く自分自身を引き寄せる。もしそのムラが十分に濃ければ、その一点がそのまま潰れてブラックホールになる──というのが原始ブラックホールの基本的な筋書きだ。
星のように何百万年もかけて育つ必要はない。宇宙が始まって1秒とたたないうちの出来事とされる。
もしその現場に立ち会えたとしても、目には何も見えないだろう。星も銀河もまだなく、光さえまっすぐ進めないほど詰まった世界だ。その濃淡のゆらぎだけが、のちの宇宙のすべての構造の種になった。
密度がどれくらい高かったか、想像するのは難しい。いまの宇宙で山ひとつぶんの岩を、原子核ほどの点に押し込めても足りないくらいの詰まりようだ。だからこそ、ほんの少しの濃淡が、材料をかき集めることもなくその場で潰れてしまえた。星が長い時間をかけてやることを、始まったばかりの宇宙は一瞬で済ませられたわけである。
ここで大事な違いが1つある。
星から生まれるブラックホールには、越えられない下限がある。潰れるには材料がいるからだ。中心核がある程度重くないと、そもそもブラックホールにならない。
ところが原始ブラックホールには、この制限がない。濃いムラの大きさ次第で、山ほどの質量のものから太陽の何倍ものものまで、理屈のうえでは何でもありうる。この「軽い側にも作れる」という一点が、のちに探索の決め手になる。
では、見えないブラックホールを、いったいどうやって見つけるのか。
見つからないものを、揺れの記録から探す
ブラックホールは光を出さない。だから望遠鏡でそのまま見ることはできない。
ましてや原始ブラックホールは、小さいものなら陽子ほどのサイズしかないと考えられている。そんなものを、どうやって探すのか。
ここで効いてくるのが重力波だ。重力波は、重い天体が激しく動いたときに時空そのものが伸び縮みして伝わる波である。ブラックホール同士が合体する瞬間には、この波がとりわけ強く出る。
光を出さないブラックホールでも、合体さえすれば「揺れ」として捉えられる。2015年に人類が初めてこの波を検出して以来、宇宙のあちこちの合体が記録されてきた。
ここからが本題で、個人的には一番おもしろいところだ。
重力波の波形を調べると、合体した2つの天体がそれぞれどれくらいの質量だったかがわかる。もし、太陽より明らかに軽いブラックホール同士の合体が捉えられたら──それは大事件になる。
なぜなら、星の死からはそんなに軽いブラックホールは生まれないからだ。
星が潰れてできる天体には境界がある。白色矮星は太陽の約1.4倍(チャンドラセカール限界)を超えると自分を支えきれない。中性子星も、おおむね太陽の2倍あたりが限界とされている。
つまり、太陽1個ぶんに満たないような軽いブラックホールは、いまの宇宙で星から作る方法がない。もしそんなものが実在したら、出どころは宇宙の始まりしか残らない。研究者は、これが動かぬ証拠になりうると考えている。
では、その証拠はもう見つかったのか。
390回の観測に、まだ含まれていない
答えは、まだだ。
重力波の観測は、2026年5月に公開された最新のカタログ(GWTC-5.0)までで累計390件に達した。LIGO(米)、Virgo(欧)、KAGRA(日)という複数の検出器が協力して積み上げた数だ。
それでも、太陽より軽い「原始ブラックホールの決定的な1個」は、この中にまだ含まれていない。
このカタログでは、別のタイプの珍しいブラックホールの兆候は報告されている。たとえば、過去の合体でできたブラックホールがさらに合体した「二世代目」らしき天体だ。
ただしこれは原始ブラックホールとは別物で、あくまで星から始まった系譜の話とされる。混同しやすいが、宇宙の始まりに直接できた1個は、依然として見つかっていない。
見つからない、という結果にも意味がある。
探しても出てこないことに意味がある、と言われても最初はピンとこなかった。だが、探して出てこないことで「もし原始ブラックホールがあるとしても、この質量帯にはそう多くはない」という上限がわかる。手がかりがないこと自体が、次の手がかりになるのだ。
そこまでして探す価値が、この見えない天体にはあるのか。
見つかれば、暗黒物質の正体に手が届く
原始ブラックホールがこれほど注目されるのには、大きな理由がある。
宇宙には、光を出さず正体のわからない「暗黒物質」が大量にあると考えられている。その暗黒物質の一部、あるいは大部分が、実は原始ブラックホールなのではないか──という説が根強くあるのだ。
もし本当なら、宇宙の見えない質量の謎が、星を経ないブラックホールで説明できてしまう。長年の難問に、思いがけない裏口から手が届くことになる。
暗黒物質の正体としては、これまで未知の粒子を探す研究が主流だった。実験を重ねても、その粒子はなかなか姿を見せない。だから「正体は粒子ではなく、じつは古いブラックホールの群れなのでは」という見方が、あらためて息を吹き返しているのだ。重力波で軽いブラックホールが1個でも捕まれば、この綱引きは一気に動くだろう。
もう1つ、小さな原始ブラックホールには不思議な運命がある。
ブラックホールはごくわずかにエネルギーを漏らして、長い時間をかけて蒸発すると理論的に予想されている(ホーキング放射)。軽いものほど速く蒸発する。
山ほどの質量を陽子ほどの大きさに押し込めたような小さな原始ブラックホールなら、宇宙の138億年でちょうど今、蒸発を終える頃だと考える研究者もいる。この時間の符合には、正直ぞくっとした。生まれた瞬間と消える瞬間が、宇宙の歴史のちょうど両端で向き合っている、ということになる。
まだ見ぬ1個を待つ
2015年に重力波という新しい耳を手に入れてから、まだ10年ほどしか経っていない。
検出器は年々感度を上げ、2026年にはインドで5台目の建設も始まった。網の目は、確実に細かくなっている。
いつか波形のグラフに、太陽より軽い2つの天体が寄り添って合体する記録が現れるかもしれない。そのとき初めて、宇宙が生まれて1秒もたたないうちにできた何かを、人類は手にすることになる。
390本の揺れの記録の、391本目か、それとも数千本目か。どこかの検出器のグラフに、いつもより軽い2つの山がそっと並ぶ日を、研究者はまだ待っている。