タケルというのが、まあ、どこにでもいる十の男の子である。ただ目だけは、やたらといい。それが、ちょっとした自慢だった。ひと月前、へんなものをだれよりも先に見つけたのも、その目である。
タケルの町は、小さな星の上にある。夜になると、空のなかばを、となりの大きな星がうめる。ずっと昔から、その星はおなじ顔をこっちに向けていた。でこぼこの、見慣れた顔だ。タケルはへこみに名前をつけていた。フライパン。こぼれたミルク。ねむそうな目。目をつぶってでも、どこに何があるか言えた。
ところがその顔の、ずっと上のはしに、見たことのない線があらわれた。まっすぐだった。定規で引いたような線だった。
「お母さん、あれ、へんだよ」
母は窓から空を見て、すこし黙った。
「……ほんとだ。まっすぐだねえ」
それから数日おきに、線は一本ずつ増えた。線と線は、きちんと角でつながる。かくかくした、きれいな形になっていった。だれかが毎晩、空に定規をあてているみたいだった。もっとも、そんなことができる者はいない。
「ねえ、角がぜんぶそろったら、どうなるの」
「さあねえ」と母は言った。「お母さんにも、わからないよ」
わからないのは、母だけではなかった。町じゅうが、その形の話をはじめた。回覧板がまわってきた。公民館の黒板には、だれかが角の数を書いて、毎朝ひとつずつ足していった。角が増えるのはいいことだ、という人がいる。わるいしらせだ、という人もいる。もっとも、回覧板がまわってくるころには、話にはたいてい尾ひれがついている。
なぜまっすぐなのか。なぜ増えるのか。答えを言える人は、ひとりもいなかった。言えないから、みんなこわがった。
そのうち、町の決まりができた。夜は、そっち側の雨戸を閉めて寝ること。見ないのがいちばんだ、というわけである。見ないと決めてしまえば、おとなはなんだか安心するものらしい。
「タケルも、あっち側はもう見ちゃだめよ」
「……うん」
ほんとうは、いやだった。あの線は、自分がいちばんに見つけたのだ。閉めたくなかった。だからタケルは、雨戸の調子がわるいふりをした。
雨戸を直しに、フクダさんが来た。町の、なんでも直すおじさんである。工具箱を置くと、さっさと雨戸をはずしはじめた。こわがっているようすは、まるでない。
「フクダさんは、あの形、こわくないの」
「どれ」
「あの、まっすぐな線だよ」
フクダさんは空をちらっと見て、鼻で笑った。
「ああ、あれか。こわがるようなもんじゃない」
「でも、だれも引いてないのに、まっすぐなんだよ」
「ぐるぐる回ってるものをな」と、フクダさんはねじを回しながら言った。「だれもかき混ぜないで、長いこと、そっとしておく。すると、ふちがひとりでにまっすぐそろってくるんだ。そういうもんさ。手をかけないほうが、きれいになる」
なんだ、そうか。タケルはすこしほっとした。それから、見慣れた顔のほうをふと指さした。
「じゃあ、こっちのでこぼこは」
「あっちは逆だよ」フクダさんは手を止めない。「長いあいだに、いろんなものがぶつかって、へこんだ跡さ。傷あとだ。さんざん、ぶつかられてきた側だな」
タケルは、でこぼこの顔を見た。フライパン。こぼれたミルク。ねむそうな目。目をつぶってでも言える、だいすきなへこみ。あれがぜんぶ、傷あとだった。
ぶつかられてきたのは、こっちの顔だった。まっすぐな側は、なんにもぶつかっていない。ただ、そっとしておかれただけ。だれにも手をふれられないまま、きれいになっていく。
「ほら、直った」とフクダさんは言って、工具箱を持って帰っていった。
その夜、町じゅうの雨戸が、そっち側だけぴたりと閉じた。
タケルは、ねむれなかった。そうっと起きて、雨戸のすきまに目をあてる。見慣れた顔は、いつものへこみのままだ。フライパンも、こぼれたミルクも、ずっとそこにある。そういえば、へこみは長いこと増えていない。
反対がわでは、だれの手もないのにあたらしい線がまっすぐのびた。角が、ひとつふえた。
見ているのは、タケルひとりだった。
タケルは、雨戸を閉めた。