ぼくは、遠見くらべでいつもびりだった。
うちの町では、遠くを見るのがいちばんえらい。秋になると、みんな金ぶちの見物めがねをぴかぴかに磨く。夜の空で、いちばん遠い、いちばんかすかな光をさがすのだ。もっとも、遠見くらべでびりだと、ばあちゃんの団子が一個へる。ぼくには、それがいちばんこたえた。
ぼくの目は、遠くがちっとも見えない。かすかな光をさがそうとすると、なんだか水がにじんでくる。三年つづけて、ぼくはびりだった。
町には、もう一つ決まりがある。「日ぼしの顔は、見るもんじゃない」。日ぼしっていうのは、昼のあいだ、頭のすぐ上でぎらぎらしているやつのことだ。見たら目がつぶれる、とされている。ほんとかどうかは、だれも知らないのだろうけれど。だから看板でも地図でも、日ぼしはいつも、つるんとした金の皿で描いてある。ちなみに、それをまちがいだと言う人はいない。だれも見たことがないんだから、まちがえようがないのだ。
その昼、ぼくは井戸ばたで、ふてくされて水をながめていた。遠見の練習が、すっかりいやになっていた。
洗いおけの水に、日ぼしがうつっていた。
ぼくは、つい、のぞきこんだ。水ごしなら、まぶしくない。——それで、見てしまった。
金の皿なんかじゃ、なかった。
日ぼしの顔は、つぶつぶだった。小さなつぶが、ぎっしり詰まっている。しかも、じっとしていない。ぐらぐらと、あわ立って、煮えているのだ。今にもふきこぼれそうな、大なべみたいに。ひとつぶ浮いては、消える。ぼくは、まばたきも忘れて見入っていた。
「ああ、日ぼしなあ」
井戸さらいのゲンが、桶を担いでのぞきこんだ。「ぐらぐら煮えとるやろ。毎日、見とるわ」
ゲンは、下ばかり見る仕事だ。近すぎて、めずらしいとも思っていなかったんだろう。町のえらい人が遠くを見ているあいだ、ゲンはずっと、いちばん近いのを見ていたのだ。
ぼくは、走って帰った。
秋の遠見くらべに、ぼくは絵を出した。夜の遠い光じゃない。昼のあの、ぐらぐら煮える顔を描いたやつだ。
親方のテツさんが、それを見て、鼻で笑った。テツさんは六十年、遠見をやってきた、町でいちばんえらい人だ。
「なんだこりゃ。遠見くらべだぞ。日ぼしなら、みんな知っとる。つるんとした、金の皿だろうが」
「ちがうよ」ぼくは言った。「煮えてるんだ。つぶつぶで。……水にうつすと、見える」
だれも、本気にしない。びりのぼくの言うことだ。
でも、テツさんだけが、だまってしまった。それから、のっそり井戸ばたへ行って、洗いおけの水を、じっとのぞきこんだ。長いこと、動かなかった。
つぎの朝、町の戸口には、水を張ったバケツがずらりと並んでいた。みんな、空じゃなく、足もとをのぞきこんでいる。いちばん前でしゃがんでいたのは、遠見の親方、テツさんだった。六十年、遠くばかり見てきた目だ。それを、すぐ上の、ぐらぐら煮える金いろに、初めてそうっと近づけていた。