春山ユイが三年間追いかけていた系外惑星は、隣のチームにとっくに論文にされていた。
それを知ったのは一昨日だ。自分のデータとJWSTの公開アーカイブを重ね合わせ、水蒸気大気の検出に確信を得た夜。興奮のまま係長に報告したら、「竹内チームが去年論文出してるよ」と返された。
春山は三日間、自分のデスクで何も手につかなかった。
四日目の朝、春山は竹内チームのドアを叩いた。怒っていたわけではない。自分でもよくわからない衝動で動いていた。
竹内はチーム内ミーティングの最中だった。春山が「少しだけ時間をください」と言うと、若い院生たちの視線を気にしながら廊下に出てきた。
「春山さん、林田から聞きました。同じ天体ですよね」
「はい。GJ 9827 dです。水蒸気大気。三年分のデータがあります」
竹内は腕を組んだ。五十代の、寡黙な研究者だった。
「うちの論文、読みましたか」
「昨日全部読みました」
「で、どう思いました」
春山は一拍置いた。悔しさを言語化する練習は昨夜のうちに済ませてあった。
「表面温度の推定に使った大気モデル、甘いと思いました」
竹内の表情が動いた。怒りではなかった。
「どこが」
「水蒸気の混合比を一定で仮定していますよね。でも私のデータでは、トランジットの位相によって吸収深度に変動がある。大気の組成が高度で変わっている可能性があります」
竹内は黙ったまま春山を見た。それから廊下の壁にもたれた。
「それ、査読でも指摘されたんです。データが足りなくて返せなかった」
春山は鞄から自分のノートパソコンを取り出した。三年分のトランジットデータ、位相ごとの吸収深度の変化、季節変動の統計処理。竹内は画面を覗き込み、何度かスクロールを止めた。
「春山さん、これ、何回分のトランジット?」
「八十七回です」
「うちは十二回で書いた」
竹内はしばらく黙っていた。
「共同研究にしませんか。正直に言うと、うちのチームにはこの天体にこれ以上の観測時間を割く予算がない。でもあなたのデータがあれば、大気の鉛直構造まで踏み込める」
春山の口が開きかけて、止まった。
三年間、自分だけの発見だと思って追いかけてきた。それが奪われた、と三日前は思った。だが今、目の前で竹内が言っているのは、自分の三年間がなければ解けない問題がある、ということだった。
「条件があります」
「どうぞ」
「筆頭著者は私です」
竹内は一瞬だけ目を細めた。それから、うなずいた。
「データ量を考えれば妥当です」
春山はノートパソコンを閉じた。握手はしなかった。代わりに来週の打ち合わせ日時を決めた。
自分のデスクに戻る廊下で、春山は足が軽いことに気づいた。三日間どこかに落としてきた感情が、怒りでも諦めでもない形で戻ってきている。
デスクに座ると、係長の本田がこちらを見ていた。
「竹内さんのところ、行ってきたの?」
「はい」
「で?」
「共著です。筆頭は私で」
係長は眉を上げた。
「あの竹内さんが? よく通したね」
春山はコーヒーを一口飲んだ。温かかった。
「八十七回分のトランジットデータを見せたら、通りました」
係長は何か言いかけて、やめて、自分の仕事に戻った。
春山はモニターを開いた。三年分のデータが並んでいる。同じデータだ。でも明日からはこれを一人で見なくていい。
そのことが嬉しいのか寂しいのか、まだ自分でもわからなかった。