「あれ、ぜんぶぼくの月だから」
弟のタクが、空を指さして言った。夕飯のあとの石段である。空には、月が二つ出ていた。
「はあ? どれだよ」
「あの、小さいほう」
兄のケンが、鼻で笑った。
「あんなの月じゃねえよ。ただの豆だろ、豆」
空の月は、たしかに大きさがちがう。片方は、まんまるで明るい。もう片方は、こぶりで、うすぼんやりしている。
「大きいほうがおれの。写真に撮られるのも、カレンダーにのってるのも、こっちだぞ。学校で月の絵かけって言われて、お前、小さいほうかいてバツもらってたじゃん」
「……あれは、先生がまちがってるんだ」
ちなみに、小さいほうの月には、名前がない。だれもつけなかった。大きいほうは「満ちた」とか「きれいだ」とか、みんなが話す。小さいほうのことは、だれも話さない。
「ぼくのだって、ちゃんと光ってるもん」
「うすーくな」
「まんまるだもん」
「ちっさいけどな」
タクは足をばたばたさせた。くやしいけれど、何を言っても勝てない。兄の月は、大きくて、明るくて、名前があって、カレンダーにのっている。ぼくの月は、豆だ。
縁側で茶をすすっていたじいちゃんが、湯のみを置いて言った。
「……あの二つはな、だんだん寄っとるんじゃ」
「寄ってる?」
「毎晩ちょびっとずつな。引っぱりあっとる。でっかいのと、ちっこいのと。……そんで、いつかぶつかる」
タクとケンは、同時に空を見上げた。
「ぶつかったら、どっちが勝つの」
「どっちも勝たん」じいちゃんは、ふっと笑った。「ぶつかったら、二つともこなごなじゃ。くだけて、ちりになって、かわりに空へ細い輪っかがかかる。月は、なくなる。両方ともな」
しんとした。
それから、タクが、ぱっと立ち上がった。
「じゃあ、引き分けじゃん!」
「は?」
「引き分けだよ! 兄ちゃんのも、なくなるんだ!」
「……いや、まだぶつかってねえし」
「でも、なくなるんだろ? なあじいちゃん、なくなるんだよね!」
「お前らが死んでも、まあだずうっと先じゃがな」
「いいもん! なくなるのは、決まってるんだ!」
タクは、石段に大の字で寝転がった。生まれてはじめて、月を見上げもしなかった。
「どうせぼくのちびなんか、だれも覚えてない。なくなったって、困るのはぼくだけ。でも兄ちゃんのは——みんなが困るよ。写真も、カレンダーも、ぜんぶ」
ケンは、言い返さなかった。
大きくて、立派で、名前のある自分の月を、ケンははじめて、心配そうに見上げていた。