うちのが単身赴任で火星に行って、もう半年になる。毎晩、ビデオ通話でだいたい喧嘩している。
火星まで声が届くのに、片道で十分かかる。だからおれがいましゃべる言葉は、ユカには十分後に届く。返事が返るのは、そのまた十分後だ。要するに、いつも十分前のユカと話している。
ちなみに火星は今いちばん遠くにいるらしい。近いときは五分で済む。でも喧嘩は、たいてい遠い時期に起きる。
「ねえ、サボテン、水やった?」
画面のユカが言う。たぶん十分前の用件だ。
「やったよ、ちゃんと」
と、おれは今のおれとして答える。でもこの声が向こうに届くころ、ユカはもう次の話をしている。
「……枯れてるじゃない。そこ、映して」
おれは映さない。かわりに、堂々と麦茶を飲む。
こういう会話が毎晩ずれたまま続く。片方が謝っているとき、耳に届くのは十分前の怒鳴り声だったりする。だから仲直りも喧嘩も、タイミングが合ったことは一度もない。
今夜はサボテンから始まって、なぜか去年の旅行の話になった。
「あのとき、あなた、地図も見ないで」
「見たよ! きみが助手席で寝てたんだろ」
言ってから、しまったと思う。この反論が届くのは十分後だ。そのあいだ、おれはまだ怒っているユカを見ているしかない。
ふいに、ユカの顔がゆるんだ。
「……ま、でも、あの海はきれいだったね」
おれの胸も勝手にほどける。あ、仲直りだ。
「だな。また行こう」
と、やさしく言った。その瞬間、ユカの顔がまた険しくなった。さっきの「助手席で寝てたんだろ」が、今ごろ届いたのだ。
「は? わたしのせいって言った?」
仲直りは、十分しかもたなかった。
もっとも、勝ったと思ったことは半年で一度もない。おれの言い分はいつも十分遅れて、いちばん間の悪いところに落ちる。
だから今夜は決めていた。とっておきを言って、返事を聞く前に切る。そうすれば負ける前に終われる。
おれは息を吸った。
「サボテンは、水をやりすぎると枯れるんだ。心配なら、火星から自分で来い!」
言い切って、ぷつっと切った。勝った。半年ぶんの、完全な勝ちだ。
麦茶を飲んで電気を消して、布団に入る。今夜はやっぱりよく眠れそうだ。
十分後、真っ暗な居間で画面がふっと明るくなった。起きていって覗く。十分前のユカが、勝ち誇った顔で笑っていた。
「──だからそういうとこ。ま、いいわ。おやすみ」
そう言って、向こうから切れた。どうやら、あっちも返事を聞く前に切ったらしい。あっちも、勝ったつもりでいる。
おれはしばらく、暗い画面の前に座っていた。それから「おやすみ」と打って、送信を押した。それがユカのもう真っ暗な画面に届くのは、十分あとだ。