太陽は、月より約400倍も大きい。なのに空を見上げると、二つはほとんど同じ大きさに見える。皆既日食で月が太陽をぴったり隠せるのは、この不思議な釣り合いのおかげだ。
空では同じ大きさに見える、桁違いの二つ
太陽の直径は約139万キロ。月の直径は約3474キロだ。数字だけ並べると、太陽の幅に月を400個ほど横に並べて、やっと届く計算になる。
片方は自分で燃える巨大な星。もう片方は岩と砂でできた冷たい球。大きさも中身も、比べものにならない。
それなのに、日食のとき月は太陽をきれいに覆い隠す。ふちからはみ出すこともなく、足りずに透けることもなく、ほぼぴったり重なる。
太陽系にはいくつも衛星があるが、主星の太陽とこれほどきれいに重なって見える月を持つ惑星は、ほかに知られていない。地球の空は、その意味でちょっと特別だ。
なぜ、これほど桁違いの二つが、空では同じ大きさになるのか。
400倍大きくて、400倍遠い
からくりは、大きさではなく距離にある。地球から太陽までは約1億5000万キロ。地球から月までは平均で約38万キロ。太陽は月の、およそ400倍も遠くにある。
つまり「400倍大きい」と「400倍遠い」が、ちょうど打ち消し合う。遠くにある巨大なものと、近くにある小さなものが、同じ大きさに見えるというわけだ。
たとえばビーチボールを遠くに置き、豆を目の前にかざす。うまく距離を合わせれば、豆でビーチボールを隠せる。太陽と月がやっているのは、これと同じことだ。
空での見かけの大きさは、太陽も月もどちらも約0.5度。満月を指で隠そうとしたことがあれば分かるが、思ったより小さい。腕をいっぱいに伸ばして立てた小指、その爪の先くらいにすっぽり収まる。
0.5度がどれだけ小さいか、別の見方もしてみよう。空は、地平線から反対の地平線まででおよそ180度ある。その空に満月を端から端まで並べると、およそ360個でようやく届く計算だ。夜空にぽっかり浮かんで見える月も、空全体で見ればその程度のちっぽけな点でしかない。その小さな点が、桁違いに大きい太陽とぴたりと重なる。あらためて考えると、なかなか出来すぎた話だ。
白状すると、この釣り合いを長いこと「月がたまたまちょうどいい大きさなんだろう」くらいに思っていた。効いているのは大きさそのものではなく、大きさと距離の比だった。もし月がいまの2倍遠かったら、太陽は隠しきれず、皆既日食という言葉自体が生まれなかったかもしれない。
ぴったりすぎて、少しのズレで金環になる
面白いのはここからだ。この釣り合いは、じつはぎりぎりで成り立っている。
月の軌道は真円ではなく、少しゆがんだ楕円を描く。だから地球に近づく時期と、遠ざかる時期がある。近いときの月は少し大きく見え、遠いときの月は少し小さく見える。
月が遠い側にいるタイミングで日食が起きると、月は太陽を覆いきれない。ふちがぐるりとはみ出して、金の指輪のように見える。これが金環日食(きんかんにっしょく)だ。
同じ「太陽と月が重なる」現象なのに、月の位置が数万キロ違うだけで、皆既にも金環にもなる。釣り合いがそれだけ際どい証拠でもある。
じつは地球全体で見ると、皆既日食より金環日食のほうがやや多い。月の見かけの大きさは、平均すると太陽をぎりぎり覆いきれない側にあるからだ。皆既日食は、際どい釣り合いのなかでも、さらに条件がそろったときの現象ということになる。
釣り合いが際どいことは、皆既日食の見えにくさにも表れている。月の影の先端は、地球にかろうじて届く程度の細さしかない。だから皆既が見られるのは、幅わずか百数十キロほどの帯の中だけだ。同じ日でも、少し離れた街では部分日食にしかならない。
ここでひとつ疑問がわく。これほど際どい釣り合いは、この先もずっと続くのだろうか。
月は毎年3.8センチずつ逃げている
答えは、続かない。月は今この瞬間も、地球から少しずつ離れている。
アポロの宇宙飛行士は、月面に鏡のような反射器を置いてきた。地球からレーザーを当てて、跳ね返ってくるまでの時間を測る。すると月までの距離が、毎年約3.8センチずつ伸びているのが分かる。
3.8センチと聞いてもピンとこないかもしれない。だいたい、自分の爪が1年で伸びるのと同じくらいの速さだ。宇宙の時間で見れば、月は爪が伸びるように、じわじわと遠ざかっている。
なぜ逃げるのか。月の重力が地球の海を引っぱり、潮の満ち引きを起こす。地球は自転しているので、海のふくらみは月の真下より少し先にずれる。そのふくらみが月を前へ引っぱり、月を外側の軌道へ押し出していく。
この綱引きには、地球側にも代償がある。月を押し出すぶん、地球の自転はほんの少しずつ遅くなっている。そのため1日の長さは、100年で2ミリ秒ほど延びていると考えられている。月が遠ざかることと、あなたの1日がわずかに長くなることは、同じ現象の裏表なのだ。
裏を返せば、昔の月はもっと近くにあった。恐竜が見上げた月は、今よりひとまわり大きく空に浮かんでいたはずだ。
もし当時に日食があれば、月は余裕をもって太陽を覆い、皆既はもっと「濃い」ものだっただろう。では逆に、遠ざかる未来はどうなるのか。
皆既の数分間だけ見えるもの
月が太陽をぴったり隠すこの数分間は、科学にとっても特別な時間だ。皆既がいちばん長く続くときでも、その暗闇はせいぜい数分で終わる。
太陽のまわりには、コロナと呼ばれる高温のガスの層が広がっている。ふだんは太陽本体がまぶしすぎて、そのすぐ外側にあるコロナは見えない。
ところが皆既日食のあいだだけ、月が太陽本体をちょうど隠してくれる。まぶしさの消えた空に、真珠色のコロナがふわりと浮かび上がる。太陽が完全に隠れる直前には、月のふちの谷間から最後のひと筋の光が漏れ、指輪の宝石のように輝く。ダイヤモンドリングと呼ばれる一瞬だ。
ここが皆既と金環の決定的な違いだ。金環日食では太陽本体の一部が輪として残るため、まぶしさが消えきらず、コロナはうまく見えない。太陽をきっちり隠せる皆既日食だからこそ、ふだん隠れているものが姿を現す。
このコロナは、太陽風と呼ばれる粒子の流れが吹き出す場所でもある。その乱れは、ときに人工衛星の故障や通信の乱れ、送電網のトラブルまで引き起こす。かつて研究者は、皆既日食のわずかな時間を使ってコロナを間近で調べ、太陽のふるまいを読み解いてきた。空の偶然が、私たちの暮らしを支える技術の理解にもつながっていたわけだ。
もしあなたが皆既の瞬間その場に立てば、昼が数分だけ夜に変わり、黒い太陽のまわりに白い光の冠が広がる。この光景は、月が太陽をぴったり覆える地球でしか味わえない。
いつか、最後の皆既日食が来る
月が遠ざかり続ければ、いつか太陽を覆いきれなくなる。見かけの大きさが太陽より小さくなり、皆既日食は起きなくなる。あとに残るのは、ふちのはみ出す金環日食だけだ。
研究者の試算では、その日はおよそ6億年ほど先だと見積もられている。長い数字だが、地球や太陽の46億年という年齢に比べれば、そう遠い未来でもない。人類が見てきた皆既日食は、宇宙の歴史のなかのごく短い一場面ということになる。
妙な話だが、私たちは太陽と月がちょうど同じ大きさに見える、限られた時代に生きている。もっと昔でも、もっと未来でも、この釣り合いは成り立たない。
次にどこかで皆既日食を見上げるとき、思い出してほしい。腕を伸ばして立てた小指の爪、そこにちょうど収まる二つの円が重なる瞬間は、いまの地球にだけ許された、期限つきの偶然なのだ。