田辺が席を立ったのは、午後3時すぎだった。
データがおかしい。片側だけ温度が高い。測定ミスじゃない——何度やり直してもそうなっている。非対称が生まれる理由を、上司の桑原に説明しなければならなかった。
廊下の突き当たりのドアを3回ノックした。
「どうぞ」
桑原は窓の外を向いたまま言った。60代で、口が悪く、なぜか全員に慕われている。田辺はまだその理由がよくわからない。
「データの件なんですが」と田辺は言った。「南側だけ、12%ほど高温になっています」
「うん」
「非対称なのはおかしいと思うんです。均一であるべきで」
「おかしくはないだろ。外からの力があれば歪む。当然だ」
田辺は少し黙った。
「……まあ、そうですね」
「原因は?」
「重い何かに引っ張られて、その側が圧縮されているんじゃないかと。シミュレーションとも合ってますし、一番自然な説明だと思います」
「じゃあそう書け」
「はい。ただ、これは永続する状態じゃなくて、いずれ引っ張り元が吸収されれば均一に戻ると思います。あくまで過渡期だと」
「それでも今は歪んでいる」
「そうです、変化の途中、という状態ですね」
「じゃあ報告書には『現在は非対称だが、これは過渡的な状態である』と書け」
田辺が部屋を出ようとしたとき、桑原が後ろから言った。
「田辺。お前はさっき、非対称はおかしいと言ったな」
「あ、まあ、最初はそう感じましたので」
「今は?」
「……外力があれば当然だと思います」
桑原は小さくうなずいて、また窓の外を向いた。
田辺は廊下を戻り、報告書を開いた。「現在は非対称だが、これは過渡的な状態である」。キーボードを打ちながら、そうだよな、と思った。外から引っ張られたら歪む。当然だよな。
そして、自分がその結論に、部屋に入る前からずっと至っていたような気がしてきた。
桑原の部屋は、廊下の南側にある。
近くを通る重い天体の重力に引かれると、もともと均一だったガスの外層が少しずつ変形することがあります。今回の小説が描いたのは、そういう「気づかないうちに引き寄せられる」という話です。