屋上にパイプ椅子を2脚運んだ。いつも1脚ずつ運ぶから、階段を2往復する。
18万年ぶりの彗星が来ている。肉眼で見えるらしい。流星群のたびに夫婦で屋上に上がるのが行事だった。妻が先に逝ってからも椅子は2脚出す。隣に双眼鏡を置くためだ。
彗星は西の低い空にいた。薄い尾が夜風に溶けるように伸びている。双眼鏡を覗くと、頭のあたりがぼんやり光っていた。ピントが甘いのは昔からだ。妻はいつも「味があるでしょ」と言って直さなかった。
翌朝、エレベーターで隣の中学生に会った。
「昨日の彗星見ました? あれ、もう来ないんですって。軌道が太陽系の外に出ちゃうから」
私はうなずいて、部屋に戻った。双眼鏡をケースにしまい、屋上の椅子を片づけに行った。
2脚まとめて持ち上げたら、1回で降りられた。