インターホンが鳴った。
佐伯タカ子は紅茶のポットを持ったまま、玄関のモニターを覗きこんだ。スーツ姿の若い男が、きれいにお辞儀をしている。
「宙央生命保険の山田と申します。本日は新商品のご案内でお伺いしました」
押し売り系だとタカ子はすぐに察したが、声がやけに丁寧なので、つい扉を開けてしまった。
若い男はにっこり笑って名刺を差し出した。赤い球体をモチーフにしたロゴがついている。
「本日ご紹介したいのは、『赤色巨星化補償プラン』でございます」
「なにそれ」
「太陽がいずれ赤色巨星となり、地球を飲み込むリスクに備えた、長期型の保険商品でして」
タカ子は紅茶のポットを玄関の棚に置いた。
「太陽が膨らむのって、50億年後の話でしょう」
「さすがでございます、お客様」
「孫が小学校で習ってたのよ」
「月々の掛け金は、198円です」
「安いわね」
「なにせ補償事由の発生が、50億年後ですので。弊社のアクチュアリー、統計の専門家ですが、その計算だとこれ以上は安くならないそうでして」
「保険金はいくら出るの」
「3億円でございます」
タカ子は思わず笑った。
「3億円ねえ。50億年後の3億円って、どのくらいの価値なのかしらね」
「そこはお客様のご判断にお任せしております」
山田は深くうなずいた。営業トークのテンプレを律儀に読みあげる新入社員のようだった。
「でもねえ、山田さん」
タカ子は紅茶のポットを指でトンと叩いた。
「うちには子供も孫もいるけど、50億年後なんて誰も残ってないわよ。地球自体ないわよね?」
「はい、そのとおりです」
「じゃあ誰が3億円を受け取るの」
山田は、にっこりと笑った。
「それは、ご契約者様ご自身でございます」
タカ子の手が止まった。
「え?」
「お客様ご自身が、50億年後にお受け取りになります」
「……あのね、私は80歳よ」
「承知しております」
「50億年後には、宇宙にすら私はいないわよ」
「それが、この保険のポイントでございまして」
山田はタブレットの画面をスワイプした。
「弊社では、ご契約者様の『存在の継続性』を、物質的にではなく、情報的に担保しております。お客様のDNA情報を弊社サーバーに記録し、そのデータから50億年後にご本人を再構築させていただく仕組みです」
タカ子はしばらく黙っていた。
「再構築って、クローンみたいな」
「もう少し正確には、『同一人格の再現』でございます。技術的にはまだ実装されておりませんが、50億年あれば十分に達成可能と弊社は試算しております」
「それで、再構築された私が、3億円を受け取るの?」
「はい。宇宙保険協会の共通通貨建てですので、価値は保全されます」
タカ子は手すりに寄りかかった。めまいに似た何かを感じた。
「……ちょっと待って。じゃあ、みんなそれに加入してるの?」
「はい。お客様のお住まいの地区では、加入率85%でございます」
「85%?」
「はい。多くの方が、『せっかく契約するなら、自分が受け取りたい』とおっしゃいます」
山田はタブレットをくるりと回し、契約書のサイン欄をタカ子の前に差し出した。署名欄の下に、小さな文字で但し書きがあった。
「再構築に際してのお身体の状態は、現在のお客様の状態を反映いたします」
タカ子は自分の膝を見た。
「80歳の身体で、また始めるってこと?」
「はい」
「……結構よ」
タカ子はドアを閉めた。
玄関の鏡に、自分の顔が映った。白髪、しみ、まぶたのたるみ。いまの自分で50億年後にまた始めるのは、さすがにしんどい、と思った。
紅茶のポットを持ちなおし、リビングに戻ろうとしたとき、もう一度インターホンが鳴った。
モニターには、山田が映っている。
「失礼いたしました。言い忘れておりましたが、再構築時のお身体の状態は、有料オプションで若返らせることも可能です。月々プラス300円で、20歳のお身体でご再構築いたします」
タカ子はしばらく黙っていた。
それから小さく言った。
「……もう一度、話を聞きましょうか」