朝の点呼は、点呼というほど賑やかなものじゃない。
「本日のご入庫、四機。ご退庫、ゼロ機。事故、ゼロ件。苦情、一件」
と、わたしはマイクに向かって報告する。マイクの向こうには地球の管制室があって、たぶん誰かがコーヒーを飲みながら聞いている。返事が届くのに片道五秒かかるから、会話になったためしがない。
わたしの勤務地はラグランジュ点L2。地球から百五十万キロ。何もない虚空のはずが、ここはれっきとした駐車場だ。赤外線望遠鏡の区画、電波望遠鏡の区画、銀河地図を描き続ける機体の長期スペース。総数、十四台。
そして駐車場係はわたしひとり。
事の発端は、地球の会議室にあったらしい。L2に望遠鏡が集まりすぎて、互いの視界に入ると撮影が台無しになる。AI任せは前例がなくて怖い、だからとりあえず人間を送ろう、と。
送られたのがわたしだった。「とりあえず」という言葉がこれほど重いとは、派遣されるまで知らなかった。
勤務を始めて三年目になる。
今朝の苦情は、Gaia号からだった。
「昨夜、Euclid号のソーラーパネルが一・三度、自分の観測角にかぶった。猛省を要求する」
Gaia号は星の位置を測る仕事をしていて、少しの光のノイズでも嫌がる。気持ちはわかる。わたしはEuclid号に通信を送った。
「Euclid号、Gaia号からクレームです。パネル角度を〇・一度戻していただけますか」
「申し訳ない。管制チームが深夜に作業しまして、当番が交代したのです」
Euclid号はフランス語なまりの合成音声で返してきた。丁寧だけど、毎週何かしらやらかす。
「ところで駐車場係さん、お変わりありませんか」
「あいかわらず真空の中で孤独に勤務しております」
「ハハ」
あちらの合成音声が、律儀に笑ってくれる。たぶん誰かに笑えと指示されているのだと思う。
昼過ぎ、新しい入庫があった。ナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡。予約通り、南ゾーンB3へ誘導する。JWST号とは八百キロ離しておく。礼儀正しい機体で、すぐに所定の向きにパネルを畳んだ。こういう客ばかりなら楽なのだが。
入庫を見届けてマグカップを取り、合成コーヒーを飲んだ。味はしない。でもマグカップを手にすると、少しだけ地球にいる気分になれる。
そのとき無線が鳴った。
「地球管制より駐車場係へ、定時連絡」
「はい、どうぞ」
五秒の時差のあと、声が届いた。
「先日お願いしていた件、正式な連絡です。L2駐車場の業務は、来月末をもって自動制御システムに引き継がれます」
マグカップを落としかけた。
「引き継ぎの準備のため、来週から後任の訓練を開始します。駐車場係さんは、地球への帰還が予定されています」
「……後任というのは、その、AIですか」
五秒後に返事が来た。
「ええ、最新型のオペレーションAIです。三年分のログを学習させました」
地球。
三年ぶりの言葉に、のどが詰まった。
退庫の日、わたしは十四台の駐車客に挨拶を回った。
Gaia号は「寂しくなる」と言った。嘘だと思うが、嬉しかった。JWST号は「お疲れさまでした」と、ずいぶんあたたかい声で返してくれた。Euclid号は「お元気で」と言ったあと、最後にこう付け加えた。
「駐車場係さん、ひとつ伺っても?」
「どうぞ」
「この三年、わたしたちのパネルの向きを、毎日〇・一度ずつ調整してくださっていましたね。地球管制の指示にはなかった作業です。なぜ?」
わたしは少し考えて答えた。
「太陽の位置が年間で変わるので、皆さんの観測効率が少しずつ落ちていくんです。指示を出してもらうと通信コストがかかるので、こちらで勝手にやっていました」
「なるほど。あの調整のおかげで、わたしたちの撮影成功率は平均で三・八%向上していました」
少し間があって、Euclid号は続けた。
「後任のAIには、あの気遣いが引き継がれているでしょうか」
わたしは答えられなかった。
帰還船に乗り込んで、わたしは最後の業務報告を書いた。「本日のご退庫、一機。乗員、わたくし。事故、ゼロ件」
そしてログの末尾に、一行だけ付け加えた。
「後任殿。皆さまのソーラーパネルは、毎朝〇・一度ずつ西へ回してあげてください。指示書には書いてありませんが、あちらはそれを喜びます」
送信ボタンを押す。電波が地球へ飛ぶ。百五十万キロの虚空を、五秒かけて。
帰還船が駐車場を離れていく。舷窓の外で、JWSTのシールドが一瞬だけ、こちらに傾いたように見えた。気のせいだと思う。
気のせいで、いい。