「では、この申請書にあと六十三枚、補足書類を添えてもう一度いらしてください」
窓口の職員が、にこりともせずに書類の束をこちらに押し戻した。
ぼくは十五分前に、軌道庁の八階にあるデブリ回収課に来たばかりだった。用件は単純で、高度七百二十キロの軌道にあるロケット上段、たぶん半世紀前のものを一基だけ、落としたい。
会社で買った民間の回収衛星が、ちょうどその近くを通るのだ。ついでに網で捕まえて大気圏に落とすだけの話だと、ぼくは思っていた。
「六十三枚も、何を書くんですか」
「起源の特定、所有権の確認、軌道傾斜角の変化に伴う他国衛星への影響分析、熱分解時の落下域予測、国際電気通信連合への通告文書、それから──」
「待ってください」
「はい」
「その上段、もう誰のものでもないですよね。五十年前のブースターですよ」
職員はふっと口角を上げた。笑ったのではなくて、諦めの表情に近かった。
「打ち上げた国、あります」
「あります、けど、たぶんもうその国自体ないです」
「でも条約上、打ち上げ国に所有権が残ります。そして継承国家が存在します」
「継承国家って、いくつですか」
「四つです」
ぼくは椅子に座り直した。
「四つの国に許可をもらうんですか、このゴミを落とすのに」
「正確には、そのうち一つがすでに合併で二つに分かれていますので、五つですね」
「五つ」
「それから、大気圏再突入時の落下範囲が国際海域でも、一応太平洋の沿岸諸国に通告が要ります」
「何カ国」
「たぶん十四ヵ国くらい」
ぼくはボールペンをくるくる回した。回しながら、何か、自分でもよく分からない感情がわいてきた。怒りではなくて、むしろ感心に近いものだ。
世界はこんなにも、丁寧にゴミを残しているのか。
「あの、落とさないで放置した場合はどうなりますか」
「百年後にも浮いてます」
「落としたい場合は、六十三枚の書類」
「はい」
「落とさなくても、誰にも怒られない」
「怒られません」
「じゃあなんで落とすんですか、普通」
職員は少し黙った。それから声を落として言った。
「落とさないと、いずれ衝突するからです」
「ぶつかったら、どうなるんですか」
「破片が千個くらい増えます」
「千個」
「そして、その千個についても、それぞれ打ち上げ国の所有権が技術的には残ります」
「千個分の書類」
「理屈では、そうです」
ぼくは静かにボールペンを置いた。
「じゃあ、その前に一個を落としたほうが、どう考えても全体としては書類が減る、ということですね」
「論理的には、そのはずです」
「でも、六十三枚」
「そこだけは、動かせません」
ぼくは窓口の向こうの壁を見た。『宇宙の持続可能性を、みんなの力で』というポスターが貼ってあった。写真は地球と、そのまわりをきれいに回るたくさんの衛星で、ポスターの中ではゴミは一つも描かれていなかった。
そこではたと気がついた。
「そういえば、このポスター、ここにいつからありますか」
「二十年前からです」
「二十年、同じ」
「ええ」
「その間に、このフロアで、何件くらい回収許可が下りました」
職員はしばらく天井を見て、それから指を折って数え、最後に両手を広げた。
「ゼロです」
「ゼロ」
「書類が、揃う前に、だいたい衛星のほうが寿命を迎えまして」
ぼくは笑った。たぶん、そこで笑うしかなかった。
「わかりました。書類、書いてきます」
「頑張ってください」
「頑張ります。間に合うかな」
「間に合うか、というのはどういう意味ですか」
「いや、ぼくの会社の回収衛星、燃料が、あと三年分くらいしか」
職員は真顔でうなずいた。
「三年あれば、たぶん前半の十五枚は書けます」