ぼくの仕事は、太陽の機嫌を毎晩伝えることだ。
夜九時から十分間。BS の片隅のチャンネルで、地味に続いている『今日のお天気・宇宙編』という枠で、ぼくは太陽フレアの予報をしている。視聴率は壊滅的だ。たまに上がる日は、たいていフレアが大きく出て、ニュースで取り上げられた翌日と決まっている。
でも普段は、本当に何も起きない。
「今日も穏やかな太陽でした。明日も大規模なフレアが発生する確率は低い見込みです」
これを淡々と読んで、ぼくの十分間が終わる。
「大山さん、本気で続ける気あります?」
新人の里中が、リハーサル後の控室で言った。彼女は四月に配属されたばかりで、まだ言葉に若い棘がある。
「だってこの番組、視聴率0.3とかですよ。誰が見てるんですか」
「いるんだよ、見てる人」
「いやでも、毎日『穏やかでした』って言うだけじゃないですか。そのうち AI に置き換えられますって。私、絶対そっちの方が長持ちすると思って、転職活動はじめてます」
正直に言ってくれるな、と思う。彼女はどうせ三ヶ月で辞める。前任者もそうだった。前々任者もそうだった。地味で報われない仕事だ。
その夜の生放送も、特に何もない太陽だった。穏やかな顔をしたコロナの画像を背景に、ぼくは予報を読み上げる。
「今日も穏やかな太陽でした」
放送が終わって帰宅すると、母がリビングの電気を半分だけ点けて待っていた。最近、目が眩しいらしい。
「お疲れさま。今日もちゃんと穏やかだったね」
「うん、何もなかった」
「それがいちばんいいね」
母はそう言って、ゆっくりお茶を入れた。
母は若い頃、電力会社で送電網の制御を担う仕事をしていた。地味だけど重い仕事だ。一九八九年三月、太陽から飛んできた巨大なフレアが地球の磁気圏を揺さぶって、カナダのケベック州で大規模な停電が起きた。新人だった母の職場でも、その夜は誰も帰れなかったらしい。電線の向こうで何が起きてもおかしくない、と先輩たちが緊張していた顔を、母はいまも覚えているという。
それから三十年以上、母は「太陽が穏やかであること」を、誰よりも気にして生きてきた。
定年退職して数年、目も悪くなって、外に出る日も減った。それでも夜九時になると、テレビをつけて、ぼくの番組を見る。
「今日も穏やかでした」
ぼくがそう言うのを聞いて、母は小さくうなずく。それから自分の分のお茶を入れる。それが彼女の一日の終わり方になっている。
ぼくがこの仕事を選んだのは、半分は母のためだ。残り半分は、自分でもよくわかっていない。
里中はおそらく辞めるだろう。次に来る人もたぶん辞める。それでもこの番組はしばらく続く。視聴率が0.3でも、誰かが毎晩、放送終了後にお茶を入れているからだ。
ぼくは台本を畳んで、リビングに行く。
「今日もお疲れさま」と母が言う。
「今日も何も起きなかったよ」とぼくは言う。
それで十分なのだと、最近やっと、わかってきた。