三十年間、割らなかった。
哲夫は陶芸をやり始めてから今日まで、一度も器を割ったことがなかった。窯から出すとき、釉薬を塗るとき、どれほど薄く仕上げても、ひびも欠けもなく完成させてきた。それが哲夫の誇りで、工房の常連客も「先生の器は丈夫なんです」と言い、哲夫は聞くたびにちょっとだけ不満だった。丈夫なんじゃない、丁寧なんだ。
その三十年が終わったのは、商店街の骨董市だった。
市の主催者から「出てみませんか」と声をかけられ、哲夫はしかたなく参加した。普段は工房でしか売らないから、こういう場所は慣れていない。展示台の高さが中途半端で、隣の骨董屋のおじさんとぶつかった拍子に、哲夫の袖が棚を擦った。一番手前に置いていた白磁の小鉢が、舗装の上に落ちた。
音がした。パン、ではなくパリン、という感じの音だった。三十年ぶりに聞く音だった。いや、三十年ぶりではなく、初めてだ、と哲夫は拾いながら気づいた。
器は真ん中から二つに割れていた。どうやら、きれいに割れていた。釉薬のかかった側はほぼ無傷で、断面だけが白い。哲夫は割れたものを重ねて、脇の段ボール箱に突っ込もうとした。
「それ、いくらですか」
声をかけてきたのは、三十代くらいの男だった。ジャケットを着ていて、どこかよそから来たような顔をしていた。
「これはですね、割れてますので」
「わかってます。いくらですか」
もっとも、値段をつけたのは哲夫本人で、買っていったのは京都から来たという若い男なので、目が節穴かどうかは哲夫にはわからなかった。哲夫は「五百円でいいです」と言い、男は「三千円でどうですか」と言い、それが哲夫にはよくわからなかった。わからないまま、男は割れた器を新聞紙に包んで持っていった。
翌週、工房に電話がかかってきた。
「先日、骨董市でお買いした者です。仲間うちで評判でして、もし割れ物がありましたら、まとめて仕入れたいんですが」
哲夫は受話器を持ったまま、工房の棚に並んだ傷一つない器たちを見た。