宇宙ステーション第七環の商店街に「めし処おおとり」という定食屋がある。
店主の川野というのが、声の大きい女である。四十代半ばで、注文を通すときの声が厨房の換気ダクトに反響して、隣のクリーニング屋まで届く。もっとも、隣のクリーニング屋は先月閉まった。
常連客は何人かいるが、その中にひとり、名前を覚えにくい客がいた。
安田、だったか。安藤だったかもしれない。小柄な男で、いつも午後二時すぎに来て、「小盛りで」とだけ言う。日替わり定食の小盛り。それ以外を頼んだことがない。十年間、ずっとそうだった。
川野は声が大きいぶん、記憶力にはやや難があった。安田の顔はなんとなく覚えているが、何を話したかは毎回忘れる。話したことがあるのかどうかも怪しい。ふと気づくと席にいて、ふと気づくと帰っている。食べ終わった皿だけが残っていて、あ、来てたんだ、となる。
ちなみに、第七環の商店街はこの三年で店が半分になった。
ラーメン屋の「宙風」が閉まり、焼き鳥の「串よし」が閉まり、うどんの「のれん亭」が閉まった。パン屋の「こむぎ座」も、カレーの「スパイスポート」も。どこも理由は似ていて、客が減った、とだけ言い残して看板を下ろしていった。
「めし処おおとり」は残っている。川野の声の大きさが理由なのか、日替わりの味が理由なのか、本人にもよくわからなかった。
ある日、川野は閉店した「のれん亭」の店主・伊藤と偶然すれ違った。
「最後の常連さん、覚えてる?」と川野が聞いた。世間話のつもりだった。
「ああ、うん。小柄な人で、いつも小盛り頼んでた」
川野は足を止めた。
「小盛り? うどんの?」
「そう。かけうどんの小を、毎日。もう五年くらい。あの人がいなくなったら他に誰もいなくなって、まあ、閉めようかなって」
川野はなんとなく嫌な予感がした。嫌な予感というか、既視感に近い何かだった。
翌日、川野は「串よし」の元店主にも聞いてみた。
「最後の常連? いたいた。地味な人。焼き鳥二本だけ、毎回。小食でさ」
「スパイスポート」の元店主にも聞いた。
「ああ、いましたね。カレーのミニ。週四で来てた。あの人だけでしたよ、最後」
「こむぎ座」にも聞いた。答えは同じだった。小柄な男。少量だけ頼む。何年も通う。そして、その客以外がいなくなった頃に、店が閉まる。
川野は厨房の椅子に座って、天井を見た。
どうやら、安田——あるいは安藤——は、商店街の全部の飲食店に通っていたらしい。毎日、少しずつ、全部の店で小盛りを頼んでいた。地味で、静かで、存在感がなくて、どの店でも最後の一人になるまで通い続けた。そして最後の一人になった店から順に、店が消えていった。
少食なのに、全部食べ尽くしている。
午後二時十五分、入り口の暖簾が揺れた。
「小盛りで」
安田が、いつもの席に座っていた。川野は日替わりの皿を出しながら、ふと商店街の通りを見た。
向かいのクリーニング屋の跡に「テナント募集」の張り紙が出ていて、その隣の靴修理屋は今日もシャッターが半分降りていた。
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