「六十日、ただ寝ているだけで四十万円」。駅の貼り紙を見た瞬間、これはおれの仕事だと思った。
おれのぐうたらは年季が入っている。横になって口を動かしているぶんには、だれにも負けない。
実験は、体のなにかを調べるものだった。起き上がらずに六十日。食事も歯みがきも寝たまま。じっとしているほど、いい数値が取れるらしい。楽勝だ。
ただ、ひとつだけ誤算があった。おれは、黙っているのが死ぬほど苦手なのだ。
部屋にはベッドがふたつ。あいだに、天井から床までカーテンが一枚引いてあった。向こうにも、だれかが寝ているらしい。けれど、ひと言もしゃべらない。寝息ひとつ聞こえてこない。
「おーい、起きてるかー」
返事はない。たいした根性だ。寝るのにかけては、おれよりずっと上かもしれない。
その日からおれは、カーテンに向かってしゃべり続けた。きのう食ったラーメンの話。昔ふられた女の話。足のうらがむずむずする話。向こうは、うんともすんとも言わない。黙っていると、頭がどうにかなりそうだった。
半月もすると、足が妙な感じになってきた。力を入れても、膝から下がぼんやりしている。ああ、これが噂の、寝てばかりだと体がなまるってやつか。少しびびって、そのことまでカーテンの向こうにこぼした。「なあ、あんた、足、平気か」。やっぱり、返事はなかった。
六十日目の朝。係の人が三人がかりで入ってきて、おれのベッドを素通りし、カーテンの向こうへ回った。
「心拍、最後まで安定してます」 「……よく持ちこたえましたね、この人」
おれのことじゃない。向こうの話だ。
「あの」と、おれは起き上がった。足は、思ったよりちゃんと動いた。「おれの数値は? 記録、出ました?」
係の人はきょとんとして、それから笑った。
「あなた、自分が調べられてると思ってました? ちがいますよ。調べてたのは、こっちです」
カーテンが引かれた。
隣に寝ていたのは、やせた女の人だった。これから、ずっと遠い星へ行く船に、眠ったまま乗せられるのだという。片道で何十年。目がさめるころには、知っている人はもう、だれも残っていない。
「その長い眠りのあいだ、心臓が止まらずにいられるか。そばで、知らないだれかが、毎日、どうでもいい話をしてくれたら。——それを、六十日ずっと調べてたんです。返事はしない決まりでした。でも、あなたの声のときだけ、この人の心拍は、ちゃんと動いてたんですよ」
口を閉じていられない人を探してた、と係の人は言った。それが、おれだった。
女の人のベッドが、静かに動きだす。明るい出口のほうへ。そのとき、はじめてこっちを向いた顔が、ほんの少しだけ笑った。六十日ぶりの、たった一度の返事だった。
係の人が、おれの手に小さな録音機を押しつけた。
「旅のあいだ、ずっと流します。何十年ぶんの、どうでもいい話が要るんです。——お願いできますか」
ベッドが廊下へ消えていく。おれは録音機を口もとに寄せて、しゃべりはじめた。ラーメンの続きから。ありったけの、どうでもいい話を。