橘愛というのが、後輩の面倒を見るのが好きな人で、毎年この季節を楽しみにしていた。

今年の新入社員の山田陽介が総務部に配属されたのは、四月の第一月曜日のことだ。橘は朝から意気込んでいた。コピー機の操作、書類の綴じ方、取引先への電話の作法。教えることが山ほどある。

ところが山田は、何も聞いてこなかった。

初日の午後、山田は橘に一度も確認せずに、経費精算書を完成させた。ミスはなかった。翌日、取引先への電話をかけたが、言葉遣いがやたらと丁寧だった。三日目には、橘が気づいていなかった棚の書類の誤配置を直していた。

一週間後、橘は職場の先輩・塚本に相談した。

「山田くん、なんか変なんですよ。新卒なのに、もう終わってる感じがして」

「終わってる?」

「あ、いい意味で。完成してるというか。ミスもしないし、確認もしないし。なんか……出来上がってるんです」

塚本は少し考えて、「聞いてみれば」と言った。

その日の夕方、橘は山田を近くの定食屋に誘った。ラーメンを食べながら、なんとなく聞いた。

「山田くんって、なんで何でも知ってるの?」

山田は少し照れくさそうに箸を置いた。

「うちの父が同じ会社の出身で。それで、祖父も曾祖父も」

「え。三代?」

「四代です。ひいじいさんも。で、夕飯のたびに仕事の話が出るんですよ。どこで怒られたとか、どの書類を間違えたとか、どの取引先がうるさいとか。ずっと聞かされてきたから、なんとなく全部頭に入ってて」

橘はラーメンを一口すすった。なるほど、と思った。四代分の失敗談を全部インストールされた新入社員。それは確かに完成して見える。

「じゃあ、何でも分かるね。頼もしい」

「いや」山田はやや間を置いた。「失敗の話しか聞かされてないんで。どうすればうまくいくかは、ぜんぜんわからないんです」

翌朝、田中課長が企画会議の前に山田に声をかけた。「山田くん、今期の顧客向けイベント、どんな方向性がいいと思う?」

山田は、ぽかんとした顔で鉛筆を転がした。