「静かなブラックホール」というイメージが、ひっくり返された。
天の川銀河の中心に座るブラックホール、いて座A*(Sagittarius A*)。質量は太陽の約400万倍。でも宇宙にある多くの超大質量ブラックホールと比べると、これまでの観測では光を発する活動がとても穏やかだった。クエーサーとか活動銀河核と呼ばれる猛烈に輝くタイプとは別物、というのが長年の印象だった。
ところが2026年6月、フランスの国立科学研究センターとボルドー大学の研究チームが、ALMAという電波望遠鏡で5年分のデータを解析した結果、はっきりとした「風」の証拠をつかんだ。論文は『アストロフィジカル・ジャーナル・レターズ』に掲載され、「50年越しの発見」と研究者たちが口を揃えた理由がよくわかる内容だ。
「風」とはなにか
まず、ブラックホールの「風」という言葉について整理しておきたい。
ブラックホールは物質を吸い込む。吸い込まれたガスや塵は、まっすぐ落ちるわけではなく、ぐるぐると渦を巻きながらブラックホールに近づいていく。この渦が「吸着円盤(降着円盤)」と呼ばれる構造で、ガスどうしの摩擦で加熱されて強烈に輝く。
ここで面白いことが起きる。加熱されたガスの一部は、ブラックホールに落ちずに「外に向けて飛んでいく」。これが「風」だ。高速で吹き出した粒子や分子ガスの流れが、周囲の宇宙空間を文字通り吹き飛ばす。
活発なブラックホール(活動銀河核、AGN)ではこの風が非常に強く、光速の数十パーセントに達することもある。それが銀河全体の形成に影響を及ぼすほどの力を持つ、というのが現代の銀河進化論の重要な柱の一つになっている。
問題は、いて座A*だった。
いて座A*は「静かすぎた」
いて座A*は地球からおよそ2万6000光年の距離にある。宇宙の基準からいえば、かなり近い。にもかかわらず、そこに「風がある」証拠を50年間誰も掴めなかった。
なぜか。理由はシンプルで、いて座A*がとにかく地味だったからだ。
活発なブラックホールと違い、いて座A*に落ちてくるガスの量は非常に少ない。だから降着円盤も弱く、放射するエネルギーも控えめ。その結果、周辺のガスを吹き飛ばすほどの強い風があるとしても、そのシグナルはごく微弱なものになる。しかも銀河の中心付近は、周囲の星やガス雲が密集していて「背景ノイズ」がひどい。弱い信号が埋もれてしまう。
これは観測技術の問題というより、そもそも何を見ればいいかがわかりにくい問題だった。
研究者たちは一酸化炭素(CO)という分子ガスに注目した。低温のガスに多く含まれ、電波で観測しやすい。もし「風」が存在するなら、その風がこの冷たいガスを吹き飛ばして「空洞」を作るはずだ。つまり、COが「ない」場所を探せばいい。
ALMAが見た「コーン型の穴」
ALMA(アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計)は、チリのアタカマ高原に並んだ66台のアンテナが協力して一つの巨大な電波望遠鏡として機能するシステムだ。電波の波長域での解像度が非常に高く、遠い宇宙の微弱なシグナルを拾い出すのに向いている。
研究チームはこのALMAで2020年から2024年にかけて5年間、いて座A*周辺を繰り返し観測した。そして得られたデータを重ね合わせ、一酸化炭素の分布図を精密に作った。
そこに見えたのは、ブラックホールの上下(銀河面に垂直な方向)に伸びるコーン型の空洞だった。形はちょうど二つの漏斗を逆向きに重ねたような形で、長さは少なくとも1パーセク(約3.26光年)、開口角は約45度。そのコーンの内側だけ、冷たいガスがほとんど存在しない。
「まさにそこにある」という感じだったらしい。研究者の一人が論文公開後の声明で「There it is」と表現したのが印象的だった。50年間探していたものが、ようやく形として見えた瞬間だ。
なぜ今まで見えなかったのか
この発見が今になった理由は、技術の蓄積と忍耐の組み合わせだった。
まず5年間のデータを積み上げるという作業自体が重要だった。単年の観測ではノイズに埋もれてしまう微弱な信号も、繰り返し同じ場所を観測して平均化することで浮かび上がってくる。
次に、ALMAの解像度が決め手になった。以前の電波望遠鏡では、いて座A*周辺の空間を細かく分解する力が足りなかった。近くの星々からの輻射や、複雑に絡み合ったガスの構造に邪魔されて、「どこが本当の空洞なのか」が判定できなかった。
ALMAはその壁を突破した。
「静かなBHでも風が吹く」という意味
この発見の何が重要かというと、活発でないブラックホールでも風が存在するということを示した点だ。
これまでの理解では、ブラックホールの「風」は大量のガスを吸い込んでいる場合(活発な状態)に特徴的なものと思われていた。でもいて座A*はそうじゃない。ガスをほとんど吸い込んでいないのに、それでも外に吹き出す流れを持っている。
これは、風の生成メカニズムがこれまで考えていたよりも基本的な物理現象に根ざしている可能性を示している。極端な降着がなくても風は発生しうる。となると、銀河の中心にある多くのブラックホール、つまり現在は「静か」に見えているものたちも、実は似たような風を常に吹かせているかもしれない。
銀河の進化を考えると、これは意外と大きな話だ。銀河が星を作りすぎないように「歯止め」をかける役割をブラックホールの風が担っている、という理論は以前からあった。でも活発なブラックホールだけが担い手だと思われていた。もし静かなブラックホールも同じことをしているなら、その歯止め効果は宇宙全体でずっと広く効いていることになる。
26000光年先で起きていることの「今」
ちなみに、余談だが。
今回観測した「空洞」の状態は、今から2万6000年前のいて座A*の姿だ。光が届くのに2万6000年かかる距離にあるので、「現在」地球に届いている電波は2万6000年前に出発したもの。今まさにそこで何が起きているかは、2万6000年後にならないとわからない。
正直、スケールが大きすぎてピンとこないが、それでも「50年間探し続けた答えが出た」というのは純粋にすごいと思う。
次のステップは、なぜ「この角度(45度)」のコーンになるのか、風を動かすエネルギー源は正確には何なのか、という問いに答えることだ。現在の観測データだけでは、そこまで踏み込めていない。
ただ、少なくとも「いて座A*は静かだから関係ない」という前提は崩れた。それだけでも、この発見は銀河研究の地図を少し書き直すものだ。
まとめ
- 天の川銀河の中心ブラックホール・いて座A*から「風」が吹き出していることが、50年越しで初めて直接確認された
- ALMAで5年間の観測データを解析した結果、コーン型の空洞(1パーセク以上、開口角約45度)が見つかった
- 活発でない「静かなブラックホール」でも風が存在するという発見は、銀河の進化モデルを修正する可能性を持つ
- 次の謎は「なぜこの形・大きさの風なのか」という問いになる