うちには2匹の猫がいる、と徳田はよく言う。

ゆずと、こっちだ。もちろん「こっち」は正式な名前じゃない。なんとなくそう呼び始めて、そのまま半年が過ぎた。

ゆずは生後8週でペット屋からやってきた。血統書つきの、なかなか立派な猫だ。初日から布団に潜り込み、徳田の足もとで一晩寝た。こっちのほうは、少し遅れてやってきた。もともとの飼い主が急に亡くなって、引き取り手を探していたのを徳田が引き受けた。2匹は今では仲がいい。どちらが先に徳田の膝を取るかで毎晩競っているくらい、仲がいい。

ただ、ひとつだけ違うことがある。

ゆずには名前がある。「ゆず」と呼ばれれば、ゆずはちゃんと振り向く。

こっちには、徳田が「こっち」以外の言葉でよんだことが、なかった。どうしてなのか、なんとなく気になっていた。べつに傷ついてはいない。ただ、どうやら自分にはちゃんとした名前があったらしいのに、徳田はそれを使わない。

ある夜、徳田が電話をしていた。

「……うん、引き取ってから半年かな。元気にしてるよ、うちの子も……」

こっちはソファの上で丸まりながら聞いていた。

「あの子の名前? ムギって呼んでたって聞いたんだけど、ちゃんと呼ぶと、いなくなった気がして……。そうだよね。そのうち呼べるかな」

受話器の向こうで、なにかが言われた。徳田がちいさく笑った。

「ムギ」という音が、部屋に落ちた気がした。

こっちはふと顔を上げた。そのまま、ゆっくりと徳田のほうへ歩いていった。

徳田は電話を持ったまま、しばらく動かなかった。

「……覚えてたんだ」

ゆずがソファの端から「先をとられた」という顔でこちらを見ていたが、徳田は今夜は気づかなかった。