銀河が一番お腹を空かせていた時代
宇宙には「コズミックヌーン」と呼ばれる時期がある。ビッグバンから20億〜40億年後、つまり今から100億〜120億年前のことだ。この頃の銀河は、とにかくよく食べた。星をつくるペースが宇宙史上最も速く、現在の10倍以上の勢いで新しい星が生まれていた。
でも、ちょっと待ってほしい。星の材料は水素ガスだ。あれだけ大量の星を生むには、途方もない量の水素が必要になる。銀河の中にある分だけでは到底足りない。燃料はどこから来ていたのか。
天文学者たちはずっとこの問いに悩んでいた。理論上は「銀河の周りに巨大な水素ガスの雲があるはずだ」と予測されていたけれど、実際に見つけるのが難しかった。水素ガスは自分では光らない。暗闇の中の透明人間みたいなもので、普通の望遠鏡ではほぼ見えない。
「光らない水素」をどう見つけたか
ここで登場するのが、テキサス州マクドナルド天文台のホビー・エバリー望遠鏡だ。口径10メートル級の巨大な鏡を備えたこの望遠鏡に、HETDEXという特殊な装置が取りつけられている。
HETDEXの本来の目的は暗黒エネルギーの研究だった。宇宙の膨張を精密に測るために、遠方の銀河を片っ端から分光観測する。1回の観測で10万本ものスペクトルを取得する、いわば宇宙の分光マシンだ。
ここにカラクリがある。水素ガスは自分では光らないけれど、近くの銀河から紫外線を浴びると、特定の波長で淡く光る。その波長が「ライマンアルファ線」。波長121.6ナノメートル、紫外線の領域だ。遠方の宇宙からだと赤方偏移で可視光の範囲にずれてくるので、地上の望遠鏡でも捉えられる。
HETDEXは膨大な数の銀河を観測するから、そのデータの中に水素ハローの光も一緒に記録されていた。いわば「ついで」の大発見だ。研究チームは160万個以上の初期銀河から明るい7万個を選び、テキサス先端計算センターのスーパーコンピュータで解析した。
結果は予想を超えていた。
3万3000個、しかもデカい
これまでに確認されていた水素ハロー(ライマンアルファ星雲とも呼ぶ)は、約3,000個だった。HETDEXの解析で、それが一気に3万3000個以上に跳ね上がった。10倍以上の増加だ。
しかも、調べた銀河の約半数にハローが見つかった。つまり水素ハローは珍しい現象ではなく、コズミックヌーンの銀河にとってはほぼ標準装備だったことになる。
サイズもすごい。小さいものでも数万光年、大きいものは数十万光年に及ぶ。天の川銀河の直径が約10万光年だから、銀河本体と同じか、それ以上の広がりをもつ水素の雲が周囲を取り囲んでいたわけだ。
これはかなり衝撃的な数字だ。銀河というと夜空に浮かぶ光の渦を思い浮かべるが、実際にはその何倍もの範囲に目に見えない水素ガスが広がっている。銀河の「本体」だと思っていたものは、実は氷山の一角のようなものだったのかもしれない。
形もさまざまで面白い。ひとつの銀河をラグビーボールのように包むシンプルなタイプもあれば、複数の銀河にまたがってアメーバのように触手を伸ばす巨大構造もある。研究を率いたエリン・メンタッチ・クーパーは「巨大なアメーバが触手を広げたような姿」と表現している。
銀河の「給油パイプライン」
この発見がなぜ大事なのか。それは、銀河の成長メカニズムに直結するからだ。
コズミックヌーンの銀河は、年間で太陽数十個分の質量の星を生んでいた。銀河内部のガスだけでは数億年で枯渇してしまう計算になる。ところが実際には、何十億年も星形成が続いた。どこかから燃料が補給されていたはずだ。
水素ハローは、まさにその「燃料タンク」だった可能性が高い。銀河の周囲に広がる水素ガスが少しずつ銀河に流れ込み、星の材料を供給し続けていた。宇宙版のガソリンスタンド、あるいは銀河を育てる海のようなものだ。
さらに興味深いのは、複数の銀河が共通のハローに包まれているケースだ。ガスの橋でつながれた銀河同士が、互いに物質をやりとりしていた痕跡かもしれない。銀河は孤立して成長したのではなく、周囲のガス環境と常にやりとりしながら進化してきた。そういう絵が見えてくる。
なぜ今まで見つからなかったのか
水素ハローの存在は理論的には予言されていた。でも観測で大量に見つけるのは、これまでほぼ不可能だった。理由はシンプルで、とにかく暗いからだ。
ライマンアルファ線の輝きは極めて微弱で、銀河本体の光に比べると何桁も暗い。街灯の隣でホタルを見つけるようなものだ。しかも、地球の大気が紫外線を吸収するから、近くの宇宙にある水素ハローは地上からはまず見えない。
幸い、遠方の宇宙なら赤方偏移のおかげでライマンアルファ線が可視光に入ってくる。HETDEXはまさにその波長帯をカバーする分光器を大量に並べた設計だったから、はからずも水素ハロー探索に最適だった。
加えて、圧倒的な観測量がものを言った。1回で10万本のスペクトルを取り、数年かけて空の広い範囲を掃き続けた結果、統計的に有意なサンプルが集まった。これは一点を深く掘る従来のアプローチでは得られなかった成果だ。
初期宇宙のパズルがひとつ埋まった
2023年にジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)が明らかにした衝撃的な事実がある。宇宙が若かった頃に、すでに成熟した大きな銀河が存在していたという発見だ。従来の銀河形成理論では、そんなに早く巨大銀河が育つ仕組みがうまく説明できなかった。
HETDEXの水素ハロー発見は、このパズルのピースを一つ埋めてくれる。銀河の外側に膨大な燃料が控えていたなら、予想以上に速い成長も説明がつく。水素の海に浮かぶ銀河が、周囲から栄養を吸い上げてどんどん大きくなっていった。そう考えると、JWSTが見つけた「早熟な銀河」の謎もすっきりする。
もちろん、すべてが解明されたわけではない。水素ハローから銀河への具体的なガス流入メカニズムや、ハローが時間とともにどう変化したかはまだわかっていない。ハローの内部構造を詳しく調べるには、次世代の巨大望遠鏡が必要になるだろう。
見えないものを「見る」面白さ
個人的に、この発見で一番ワクワクするのは「見えないものが見えた」というプロセスそのものだ。
水素ガスは宇宙で最もありふれた物質なのに、自分では光らない。存在していることは確実なのに、見つけるのが恐ろしく難しい。暗黒物質ほど謎めいてはいないけれど、「そこにあるはずなのに見えない」というもどかしさは似ている。
HETDEXチームは、別の目的でつくった装置のデータから、誰も予想しなかった量の水素ハローを掘り当てた。宇宙観測の歴史を振り関すと、こういう「思いがけない発見」が科学を大きく前進させてきた。パルサーも宇宙マイクロ波背景放射も、元々は狙って見つけたわけではなかった。
100億年前の銀河を包んでいた水素の海。そこから少しずつガスが落ちてきて、星が生まれ、惑星ができ、やがてそのうちの1つに生命が宿った。ぼくたちの体をつくっている水素原子のいくつかは、ひょっとしたらあの巨大ハローの一部だったのかもしれない。
そう思うと、目には見えない水素の雲が、ちょっとだけ身近に感じられないだろうか。